■ 義経 みちのく二人旅 福島県郡山市-宮城県松島まで
  
 この頁では、平泉への旅の途中で見聞先を『義経記』の記述に従い載せて置きます。
  
中山道・上野国板鼻(栃木県・安中市)で、最初の家来伊勢三郎を得て福島県北部まで入る。
ここまでは、義経の伊勢とみちのく二人旅です。
 ↑ 浅香山[現・安積山] 福島県郡山市…JR日和田駅
    より北に1km位   MAP
    浅香のあやめ草を見たと記載しているのでこの時
    は良く知られていたのでしょう。
      芭蕉が訪れた時は、土地の人間は良く分らない
    ので探したとなっています。
 
 ← 福島県二本松市の安達ヶ原。
    鬼婆伝説の地で、ここが墓[黒塚] MAP
 
 ↓ 福島県福島市郊外の「信夫文地摺石(もじずり)」
    染物の草を岩に敷いて布を置き、上から擦ると乱れ
    模様が出来る。 これが恋の歌に良く詠まれた。
    代表作:「みちのくの 信夫文知摺 誰ゆえに
          乱れそめにし我ならなくに」源融  MAP
  阿津賀志MAP辺りで、先行していた吉次と合流。 吉次の『上野国の伊勢は、ここで戻ってもらいいずれ平泉
から戻る時にお供してもらったほうが良いでしょう』との勧めに従い伊勢と別れ、吉次との二人旅になります。
  
 福島県から宮城県入りした二人は、岩沼市の二木の松、仙台市のつつじが岡、宮城野の野、塩竈市の塩竈神社、
日本三景・松島を見物しながら宮城県の北部・栗原市に着いた。
 宮城県岩沼市の二木の松(武隈の松)
つつじが岡の榴岡天満宮 宮城野・陸奥国分寺
塩竈市塩竈神社
→神社から見た千賀の浦(塩釜港)。
↑ 塩竈神社にある『文治の燈籠』。これは、これから身を寄せることになる平泉の藤原秀衡(ひでひら)の三男
藤原忠衡(ただひら)が寄進したもの。忠衡は後に義経を最後まで守り、兄・泰衡(やすひら)に義経と共に滅ぼさ
れる。23歳の若さでした。この2年前に塩竈神社に寄進したことになる。
 日本三景・松島の雪景色。 観光船が入ってきている直ぐ下の島が『雄島(おじま)』。
雄島には短い橋で渡ります。ここは、瑞巌寺の奥の院として修行をした所。
右上は、義経が見たと言う見仏上人(けんぶつしょうにん)が修行した旧跡。
  
この後、旧奥州街道(現在の国道4号線)を北上し、栗原市・金成の『姉歯の松』を見て栗原市・栗駒に有ったとされる
栗原寺の別当(寺務を司る者)に預け、金売り吉次は先に平泉を目指した。
                         (続く)