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■ 出立の地(矢立初の地) 千住
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1689年3月27日(新暦5月16日)千住から奥の細道への長い旅路が始まりました。
弥生(3月)も末の27日、あけぼのの空はおぼろに霞み有明の月(明け方の月)で光が薄らいでいるとは言え、富士
山が霞んで見え、上野や谷中には桜の梢が見える。それらを又いつ帰って見られるのか…、心細く思える。
親しい者たちは前の晩から集まって、今朝はともに舟に乗り見送ってくれる。
千住と言うところで船を下りると、ここから先3000里も有るかと思うとその思いで胸がいっぱいになり、どうせこの世は
夢幻のように儚い世界だとしても、そうは分っていても旅立ちにあたっては別れの涙を流すのである。
行く春や鳥啼き魚の目は涙 ( いくはるや とりなき うおのめはなみだ )
(春が去ろうとしている。そして我々も旅立とうとしている。その心細さに、鳥の鳴声が泣いている様に聞こえ、魚の目には涙が浮かんでいる
様に思えるよ)
この句を旅の最初の句として、旅の第一歩を踏み出したがなかなか思うように足が進まない。人々は道の途中に
立ち並んで、後姿が消えるまでといつまでも別れを惜しんで見送ってくれるのである。 |
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中央卸売市場足立市場前の『千住宿 奥の細道プチテラス』。
平成16年(2004)12月12日(日)奥の細道 矢立初の芭蕉像 落成式(松尾芭蕉生誕360年記念事業)が行われました。
訪問したのは2007.2.24、富士も見えなければ上野の桜も谷中の桜もまだですので手持ち写真でそれらしく… |
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江戸から、東北地方に向かう日光街道の支えとなるのが千住大橋。当時、川に橋の有るかどうかが街道の重要なポイントとなりました。
深川から舟で隅田川を遡り、千住で舟を降りていよいよみちのくへの旅立ちです。 |
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橋の北側・橋の下にちょっとした広場があって、壁面に関連の記事や絵が描かれています。 |
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橋の袂に広場・大橋公園が有ります。ここに、松尾芭蕉・曾良の「奥の細道」紀行出発にあたり、初めの一句を
詠んだところ(=矢立初めの地)の記念碑が建っています。 |
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また、矢立ての初句、『 行く春や鳥啼き魚の目は涙 』の石碑が有ります。
ところで、実際には別な句が詠まれたようで、『おくのほそ道』の仕上げの段階でこの句になったようです。
結びの地・大垣の句は『 蛤(はまぐり)のふたみにわかれて行く秋ぞ 』
つまり、『行く春や』と『行く秋ぞ』が対になっています。 |
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【南千住・素盞雄(スサノオ)神社】 |
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南千住側の、橋の手前にスサノオ神社があり、境内に芭蕉句碑が有ります。桃の節句を控え、豪華な雛壇飾りが
展示されていました。
深川の芭蕉庵を去るときの句。『草の戸も住み替はる代ぞひなの家』の句が思い出されます。 |
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奥の細道の千住部分の一節と『行く春や…』の句が載っている句碑。
↑ 解説の案内板。 |
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