■ 草加   埼玉県草加市
新暦1689年5月16日、芭蕉と曾良は草加宿を通過する。

 今年は元禄の2年であろうか。奥羽地方への長旅を一寸した思い付きで企画し、『呉天に白髪の恨みを重ぬ(※)』
と言うことになろうけれども、噂には聞いていて未だに実際には見ていない土地を見て、もしかして生きて帰れたら良
いなぁと、当てにはならない期待をこれからの旅の行先に掛けて、その日やっと草加と言う宿場町に辿り着いた。
 痩せて骨が浮き出ている私の肩に荷物で先ず苦しめられる。ただ体一つで旅に出ようとしたのだが、寒さしのぎの
紙子一衣(紙子=和紙に柿の渋を塗った着物を一枚)は必要だし、浴衣・雨具・墨・筆といったのやら、或は断りきれ
なかった餞別の品々は、重いからと言って捨てるわけにも行かず…
旅の厄介物となっているのはどうしようもないことだ。

※呉天に白髪の恨みを重ぬ
呉天(中国揚子江南方の呉の国の空)=遠い旅路の空の下、髪が真っ白になるような苦労を重ねるという意味
 今回(2007.2.25)東武伊勢崎線草加駅から松原団地駅間を歩きました。     Map
草加駅前を2丁ほど進むと旧日光街道に出ます。道には「今様・草加宿」の横断幕も…
草加は千住から10km程北の奥州街道第二番目の宿場町です。
 草加駅前からの交差点から進むと直ぐに草加宿下三町の鎮守・八幡神社が。ここから更に500m程進むと東福寺が
有ります。草加宿の開発を手がけた大川図書(ずしょ)の創建した寺と言われています。
 旧日光街道が右手にカーブし、県道足立・越谷線との合流地点辺りに神明神社があり、その隣に「おせん公園」が
有ります。ここには草加せんべい発祥の地碑と、紀行300年記念の「芭蕉 奥の細道」碑が有りました。
 草加駅と松原団地駅の中間地辺り、交差点の歩道橋を渡ると綾瀬川に沿った札場河岸公園(ふだばかし)に出ます。
かつて綾瀬川を利用して江戸に荷物を運ぶ船着場で高札が建てられ札場川岸と呼ばれていたところです。
 ここに芭蕉像が建っています。『やうやう草加といふ宿にたどり着きにけり』と記した芭蕉が江戸を振り返る様子の
ブロンズ像です。(マウスを当てると、拡大写真になります)
右は、日本の道100選の顕彰碑。奥の陸橋が「矢立橋」です。
 松並木が整備され、とても気持ちの良い散策路になっています。
 更に進むと「百代橋」です。いづれも奥の細道から「月日は百代の過客…」、「矢立ての初めとして…」からの命名。
 松原団地駅前の通りに当る百代橋の袂に、松尾芭蕉文学碑・奥の細道文学碑が有ります。
  
 尚、芭蕉一行は17km程北にある春日部に宿泊しています。
宿泊場所としては東陽寺などが候補にあがっていて石碑が有るようです。