■ 敦賀(つるが)      福井県敦賀市
  
新暦1689年9月27日、福井に住む昔からの知人・等栽と共に敦賀に着いた。体調不調により石川県山中温泉で分か
れ、最終地大垣で落ち合う事にした曾良はこれに先立ち5日前に訪れている。
 旧暦8月14日の月夜に誘われ「気比(けひ)の神社」にお参りし遊行上人の昔を偲んだ。

月清し遊行のもてる砂の上  …昔、遊行上人が神社前に砂を引き参拝しやすくした。その砂が綺麗だ 
 楽しみにしていた15日の満月は雨で見られなかった
名月や北国(ほくこく)日和さだめなき  …今日は仲秋の名月なのに見られなかった。北国の天気は当てにならないものだ
  
気比の松原。この右手の半島の先に「色の浜」本願寺
などが有りますが今回は訪問していません。
寂しさや須磨にかちたる浜の秋
浪の間や小貝にまじる萩の塵
金ヶ崎城址。
ここは敦賀湾に突き出た小さな半島であり、下の海には
鐘が沈んでいるといわれている。
 下の、金前寺の項を参照してください。
金ヶ崎城址にある金崎神社
神社の参道入り口の金前寺・鐘塚。<写真左が鐘塚。写真右が、本堂。バンの脇に小さく見えるのが「鐘塚」。後ろの山が金ヶ崎城址>
月いづく鐘は沈める海のそこ
出雲屋に宿泊した芭蕉は、宿の主人に酒を勧められ、更に気比神社行きを勧められて夜に参拝した。
そして、『月清し…』の句を詠みます。


神社境内に芭蕉像が有りますが、こんな天気ですっかり忘れてしまいました。
山車会館近くの相生町商店街。「レストランうめだ」前に有る出雲屋跡地標識。 ここに、芭蕉は泊まった。
少し手前のアーケード柱に仙台で詠んだ「あやめ草足に結ばん草鞋の緒」の短冊発見。
種の浜(色の浜)に向かう舟で接待した、長者・天屋玄流
の旧屋敷跡。
   
金ヶ崎城址から見た港貨物駅と市街地遠景。
 第二次大戦中、ユダヤの難民約6000人が日本に上陸
したのもここ敦賀であった。