■ 福井(福井県福井市左内町)
  
1689年9月24日、芭蕉は知り合いの等栽に会いに福井に寄った。

 福井は三里ばかりなので夕飯を食べてから出たが黄昏時の道なので迷い迷い歩いた。
ここには、等栽という古くからの世捨て人がいる。何年前か江戸に来たとき私を訪ねてきた。もう老いぼれているか?
或は死んでしまったか?と人に尋ねるとまだ存命でどこそこに住んでいると言う。

 町の中から引っ込んだところの、粗末な家で夕顔・へちまが生えかかり、鶏頭・箒草で入口を隠している家だった。
たぶんこの家だろうと門を叩くと、みすぼらしいなりの女性が出てきて「何処から来た仏道心のあるお坊さんでしょう。
主人はいま近くのどこどこにいますので、用事が有るのならお訪ね下さい」と言う。
自然と彼女が等栽の妻と分った。昔の物語(※)にはこのような風情があるものだ。
   
※源氏物語・夕顔をイメージしているらしい

 すぐに等栽を訪ねて会い、その家に2晩泊まり、名月は敦賀の港で見ようと思い旅立った。
等栽も送りますと着物の裾を面白い様子にはしょり道の案内をしようとウキウキして出発した。
  JR福井駅から右手に城址を遠く眺め、駅前中央通を進み電車道を左折(南下)し幸橋を渡って最初の信号を右折し二丁ほど進むと
左内公園に出ます。
  Map
 ここは、安政の大獄で露と消えた幕末の福井藩士・橋本左内の墓所のあるところで、銅像の左手奥に芭蕉宿泊の地・等栽宅跡碑が
あり、奥の細道関連の資料も案内板にて紹介されています。
 『名月の見所問ん旅寝せむ』の句碑。大理石でまん丸の月をかたどっていますが句は読み辛い。
 奥の細道には載っていない越前で詠んだ月の句が『芭蕉翁月一夜十五句』というものに有るらしくその解説も記載されていました。