■ 殺生岩  (栃木県那須町)
 1689年新暦6月6日、那須温泉神社と殺生石を訪れた。

 ここ黒羽から殺生石に行く。館代の浄法寺殿から馬で送ってもらう。この手綱を取る男が「短冊にあなたさまの発句
をひとつ書いていただけませんか」と求めている。風雅なことを望むものだと感心させられたので、次の句を与えた。


野を横に馬ひきむれよほととぎす
(野原を進んでいくと、ホトトギスの鳴声が聞こえる。さぁ馬子よ、そちらに馬を向けてくれよ)

殺生石は那須の温泉が噴き出る山の陰に有った。石の毒気はいまだもって収まらず、蜂・蝶の類が砂の色が見えな
いほど重なり合って死んでいる。

 那須温泉神社と殺生石は、那須湯元温泉に有ります。  Map  観光案内センター前に駐車場が有りますので
お借りしてその先にある温泉神社に向かいます。
 那須温泉神社は、那須与一が扇の的を射る時に祈願した神社の一つです。
 本殿の前に芭蕉句碑が有ります。
湯をむすぶ誓ひも同じ石清水
(ここ那須温泉神社は、京都の石清水八幡宮が合祀されているので、ここに参詣し、その社殿の湯を手ですくうと、両神社にお参りしたことに
なるという。これは湯が結ぶ縁である。)
 本殿の右横手は谷間になっていて、下に下ると殺生石に着きます。
 ここに2つの句碑が有りました。
写真左上は、”芭蕉”の字の部分をセメントで埋めているが、かえって目立つ。『飛ぶものは雲ばかりなり石の上』
の句で、実際は越中の俳人麻父の作だそうです。
 
写真右上は、本物の芭蕉の句碑

石の香や夏草赤く露暑し
 (この石とは殺生石のことで、石は硫黄の香りがして、緑したたるはずの夏草が赤く枯れ、涼しいはずの露が熱く沸騰している。)
  
 さて、黒羽から殺生石へと向かう途中で寄ったのがこのあたりの大名主・高久の角左衛門。
野間で馬を帰して歩き出したが雨が降ってきた。下段の高福寺の句碑に有る句は、その時に作られたらしい。
翌日も雨だったので滞留し(二泊し)次の日に那須温泉へと向かった。
 国道4号線と並行して走る県道303号線(下記の高福寺前の通り)の所に芭蕉が二泊した高久邸が有ります。
JR黒磯駅の北側・高久地区の高福寺から80m程県道303号線を北上したところ。  Map 
手前の方に同じ高久さんのお宅が有ったのですが、ここを教えていただきました。目印は県道の標識の北に向かって
右手のお宅です。こちらの庭の中に句碑が有ったようですが、忘れていて見学しませんでした。

 高福寺は高久家の菩提寺。
境内には沢山の像が設置されており、夫々に標識が
立っていた。これに惑わされ、きっと芭蕉の句碑にも
案内があるのだろうと思い込み、探したが無かった。
 戻ってからNETで検索したら、やはり句碑は存在し
ていました。↓正面の石灯籠の傍に有るのがそうで
した。
 落ちくるやたかくの宿の郭公  芭蕉
 木の間をのぞく短夜の雨    曽良
 
 句碑の拡大写真を撮影しなかったのが悔やまれま
す。