■ 雲巌寺 (栃木県大田原市雲巌寺)
1689年新暦5月23日、芭蕉一行は雲巌寺を訪れた。

 下野の国にある雲巌寺の山奥に、仏頂和尚が山住まいをしていた跡がある。
「竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば(縦横5尺に満たない小さな粗雑な庵に住むのも無念だ。
雨さえ降らなければ庵などに住まずに自由に生きられたものを)と、松明の炭で傍の岩に書き付けた」と、いつか私
に言っていた。その跡を見ようと雲巌寺に杖を突いて行こうとすると、人々が進んで共に誘い合い、若者が多くいた
ので道中が大賑わいであっという間に寺の麓に着いた。
 山は奥深い様子であって、谷沿いの道が遥かに続き、松や杉はうっそうと生い茂り苔が黒く群生し、卯月(4月)の
夏の空は今でも尚寒く感じられる。お寺の十景が終わったところで、橋を渡って山門に入る。
 さて、あの仏頂和尚の山ごもりの跡はどこいらだろうと後ろの山によじ登ると、岩の上に小さな庵が岩肌にくっつく
様にして建っている。妙禅寺の死関、法雲法師の石室を見るような感じだ。


 啄木(キツツキ)も庵はやぶらず夏木立
(キツツキも流石にこの庵をつついて壊そうとはしないよ。それほどに壊れそうな庵だよ。奥深い山の夏木立の中で)
と、とりあえず作った一句をその庵の柱に残しておいた。

※妙禅寺の死関(しかん) =中国南宋時代の高僧・原妙禅師。自らを死関と呼び、杭州・天目山の張公洞にこもり外に出ないで亡くなった。
 法雲法師の石室 =中国・梁時代の高僧。寺の大岩に庵を造り、一日中議論を交わしていたと言う。    

※庫裏の裏手から「仏頂和尚の庵跡」に行けるそうですが立ち入り禁止になっています。
 黒羽から東側に14km程の位置に有ります。  Map    
道路の前に川が有り、橋を渡って境内に入ります。
 雲巌寺の左側に奥の細道の雲巌寺の項を刻んだ文学碑が有ります。
山門を潜って境内に入ると左側に佛頂和尚の歌「竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば」と
芭蕉の「木啄も庵は破らず夏木立」の句を書いた石碑が有ります。
雲巌寺の仏殿と方丈。