■ 浅香山(福島県郡山市)と黒塚(二本松市)
■ 福島県郡山市 浅香山公園
 新暦1689年6月17日、須賀川を出発した芭蕉一行は郡山市浅香山に寄る。「花かつみ」を探すが、誰も知らない。
探し歩いている内に日が暮れたので、二本松を通り、黒塚の岩屋を見て福島に泊まった。
 浅香山(現在は浅香山公園)は、山と言うより小さな丘である。旧・奥州街道沿いに有り当時は芝山で頂上に松の
木が一本有り、枝振りが良かったと言われている。
10世紀の歌物語「大和物語」に 『浅香山影さえ見ゆる山の井のあさくは人を思ふものかは』と歌われている。
男と女が駆け落ちをしてこの浅香山の地まで逃げてきた。貧しい二人ゆえ、夫は出稼ぎに出かけるが留守を守る妻がふと自分の姿を泉に写して
見ると、以前の美しい姿とはかけ離れた顔になっていた。それをはかなんだ女は、この歌を残して死んでしまった。という物語の一節。
浅香山にかけて、「浅くは人を思ふものかは=深く貴方を愛している」と結んでいる。
 松並木が当時の街道筋を髣髴とさせる公園前。この浅香山の周辺に沼が有り、幻の花『花かつみ』を日が暮れる
まで探し回ったとされる。『花かつみ』とはどんな花か?昔から議論がなされ諸説があるようです。
ここ、郡山市浅香山の案内看板には『ヒメシャゲ』と特定し、郡山市の市の花としている事、記念植樹(花)をしたとの
記述が有りました。  写真は、宮城県・南方町の『花かつみ(=野菖蒲の一種)』。
古今和歌集に『陸奥(みちのく)の安積(あさか)の沼の花がつみかつ見る人に恋ひやわたらむ』が有ります。
 
芭蕉一行が地元の人に尋ねるも、もうそういう呼び方はしていないようで誰も知らなかったと言う。
■ 福島県二本松市 観世寺・安達が原「黒塚」
安達が原「黒塚」物語…歌舞伎などで取り上げられている
 京都のある公卿屋敷の乳母であった「岩手(いわて)」は、姫の病気を治したい一心で易者の「妊婦の生き胆を飲ませれば治る」との言葉を信じ
遠くみちのくに旅立ちたどり着いたのが、ここ安達が原の岩屋であった。
 ある木枯らしの吹く晩秋の夕暮れ時、若い夫婦が一夜の宿を乞う。ところが身ごもっていた若い妻「恋衣」が急に産気づき夫は薬を求めて出て
行った。 老婆「岩手」は、絶好のチャンスとばかり出刃包丁をふるって『妊婦の生き胆』を取る。「恋衣」は、苦しい息の下から「私たちは小さい時
京都で別れた母を探し歩いているのです」と語った。「恋衣」のお守り袋を見て吃驚、いま手にかけたのが自分のいとしい娘であることに気付く。
こうして、「岩手」は気が狂い鬼に化してしまったと言う。

 写真左上が、鬼婆の塚「黒塚」。 写真右の、観世寺から100m程離れたところに有ります。

拾遺和歌集に、平兼盛が「みちのくのあだちが原の黒塚に鬼こもれりいうはまことか」と詠んでいます。
芭蕉一行は、岩屋を訪ねた後福島に宿を取ります。
写真の右上が鬼婆伝説の岩屋と言われるもの。この写真の奥に芭蕉が腰をかけたと言う休み石(写真左)が有ります。