■芭蕉の心を捉えた人・西行と共に歌枕の地探訪 その2
  東北最大の『塩竈神社』。  ここに咲く八重の塩釜桜は天然記念物となっています。
塩竈を歌いこんだ歌は多数あるようです。
 平安時代の貴族・源融(みなみとのとおる:嵯峨天皇の皇子)は、按察使(あぜち:地方官の監督し民情を視察する)
となって東北地方を巡回した。その時、塩竈の地が多いに気に入り、都に帰って別荘(に京都六条河原町)に塩竈を
模した庭園を造った。それは壮大で、池を塩竈に見立てて毎日大阪から海水を運び、藻塩(もしお)まで焼いたと言う。
 彼の功績により、辺境の地「みちのく」が都人に憧れを抱かせることになる。
  
 写真右上は、塩竈神社から見た松島湾内・塩釜港。ここから日本三景松島の遊覧船が出ています。
 今では電車も国道45号線も整備されていますが、西行の当時は山道を越えて塩釜から松島に入った。
やっとの思いで松島の地に入り、眼下に見た時の光景は極楽浄土の蓬莱島が浮かぶ絶景であったに違いない。
「松島」の名の意味は、「極楽浄土を待つ」意味合いがあるそうです。
 
 写真上は、東松島市大高森展望台からの松島の景観。
 古道の途中に「西行戻しの松」と言う松島のビュースポットが有ります。普通の松島観光では観光船乗り場を基点に
瑞巌寺とかを見て終わってしまいますが個人旅行の場合は是非足を伸ばして欲しい場所です。
 西行がここで詠んだ歌に悦に酔っていたら童子が現れ、返歌した。何者か?と訊ねたら西行には意味のわからない
返事が返ってきて、恥じた西行はスゴスゴとこの地を立ち去ったという逸話が残っています。