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■ 張氏帥府博物館 その② 2018.5.4 |
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◆張作霖関係 |
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広い敷地内に何棟もの建物が有り、上の建物が張作霖の夫人たちが使った寝室。 |
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1928年6月、瀋陽(奉天)郊外「皇姑屯」で搭乗していた
列車が日本軍に爆破され死亡した。-① |
1931年9月18日、瀋陽(奉天)郊外、柳条湖付近で線路
の爆破事件があり、中国進出のきっかけとなった。‐② |
①日本軍は張作霖を援助して、かつ日本は彼を利用して中国国内への進出を狙っていたが
張作霖はやがて全国的な軍閥として成長、アメリカとのつながりを持つなどし必ずしも日本の言うことに
従わなくなった。
②日露戦争で長春~旅順間の鉄道および付属利権を獲得した日本は、1931年9月18日瀋陽(奉天)郊外
「柳条湖」付近で起きた満鉄線路の爆破事件を中国側の仕業として、日本軍の中国東北部への進出が
始まり、「満州国」を樹立するに至る。
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◆ 張学良関連 |
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張作霖の息子である張学良は、現代中国への貢献度が高いと評価されているらしい。 |
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一目瞭然と謳っているが??? |
日本進出の年代とか書いてある。 |
日露戦争で、もしも日本が勝たなかった場合、ロシア領になっていたかもしれない。 |
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周恩来と談話する張学良(※) |
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※ この施設内の会議ではない。
張学良は国民党・蒋介石に不満を持ち、1936.4.9、地理的には西安方向の延安で
共産党の周恩来と会談した場面をここで再現しているようだ。
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◆ 大青楼と小青楼 |
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敷地東側のブロックの假山(築山) |
大青楼 |
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その内部はオフィスや応接室、宴会場等があります。 |
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手前の、小青楼 |
庭園 |
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◆ 迎賓館 大和ホテル瀋陽 |
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大和ホテル |
毛沢東の銅像がある中山広場の前にあります |
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遼寧賓館 奉天大和ホテル 満鉄が1929年に新築した。
内外装はアール・デコ調のデザインが施され、外壁は白色のタイル貼り仕上げとされた。
当時は最新かつ最高格式のホテルとして知られ、戦後も中華人民共和国の国家指導者である毛沢東や
鄧小平がここを訪れている。
現在も3つ星ホテル遼寧賓館として営業している。客室(77室)は現代的に改装されているが、エントランスや
レストランは往時のままの装飾が維持されている。
エレベーターホールには上記を含め著名人の宿泊を示すプレートが標示されている。 |
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昼食をここのレストランで取った。 |
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(左上)来訪者のパネル (右上)李香蘭もここで歌ったらしい。
李香蘭は、1938年に中国の映画会社の女優としてデビュー。歌も歌い「支那の夜」などのヒットがある。
日中戦争中は、日本映画に多く出て、上海で終戦を迎える。
帰国後も山口淑子として活躍するも1958年に女優業を引退。
1974年に参議院議員に当選、1992年に引退。(1920年2月12日生まれ~2014年9月7日没) |
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