■ 旅順市内と白玉山 2018.5.6 
   
  旅順港と街並み写真(白玉山展望台の案内より)   中央辺りの水路が狭くなっているのがわかる。
 ◆ 白玉山・白玉山搭
   
  旅順と言えば「203高地」ですが、今の時期「桜祭り」開催中なので立ち寄りません。

代替えとして、白玉山搭の見物です。

日露戦争終結後、連合艦隊司令長官の東郷平八郎と陸軍第三軍司令官の乃木希典が
日本兵の慰霊の為に立てさせた66.8mの搭で1909年11月に完成。
 途中にあった桃の花が綺麗でした。   リフトに乗って頂上に向かいます。
 頂上の搭と展望台に到着です。  
   展望台
  旅順港  
 遼東半島の先端にある旅順は,良港に恵まれ,朝鮮,南満州での作戦遂行上不可欠の要衝であった。
特にロシアにとっては冬場「凍らない港」として死守したい港であった。
清朝から、ロシア本土から鉄道敷設権を獲得し、遼東半島南部の租借してからは
ロシアは旅順に要塞と軍港を建設し極東艦隊を配備、一大軍事拠点とした。

日露戦争において、旅順港の入り口が狭いのを活用しロシア帝国海軍旅順艦隊の海上封鎖作戦(閉塞作戦)を
三次にわたって行ったがいずれも旅順港を十分封鎖するに至らなかった。
 
 ◆ 旅順軍港
  車窓から。  今も外国人の立ち入りは禁止のはずです。
   
 ◆ 旧 粛親王邸・娘の川島芳子の住んだ屋敷
 粛親王の旧宅。
粛親王(しゅくしんのう)は、清王朝の世襲系列にあった名家。 娘は、日本人・川島家に養子として入る。
川島芳子として、「男装の麗人」のモデルとなった日本中国のスパイとして活躍。
   
 ◆ 旧 大和ホテル
  多分、解体の運命にあるのだろう「招待所」、旧・旅順大和ホテル。
  囲いの内側にあった標識を上から撮影。   周辺の様子
  フリーマーケットが開催されているようだが・・・   集まってカードか何かに興じている人々。
 ◆ 旧 師範学校
 ロシア植民地時代に、アメリカ人の設計により雑貨店として開業。後に、日本の旅順師範学堂となる。
 ◆ 旅順駅
 元々は、ロシアが設立した旅順駅。

後に、日本の満鉄が1906年にロシア人設計士を使って建設したもので、2005年に中国が改築した。