■上海
 その昔、三国時代の3世紀には漁村で有ったが清代には人口20万の港町に発展。1842年にアヘン戦争でイギリスに負けると、上海などは通商港
として開港。以降、イギリス、フランス、アメリカ等が租界(清朝政府の主権が及ばない地域)を造り、列強諸国は中国侵略の拠点とした。

 北京、西安と周り上海の空港に着くと景観が一転する。道路もよく整備され近代的な建物が視界に入ってくる。現地のガイドも、『上海に来るとほっと
する』と皆さん仰います。と案内していたほどです。
 この当時、北京も再開発中で目抜き通りも”埃たつ”状態。西安も、空港から市内への有料道路(? らしきものを通った)も途中穴ぼこだらけで、日本
の農免道路(田んぼの中を走っている)の方が遥かに整備されている印象を受けました。 今は、どうでしょうね。
 中国経済の最先端を担う黄浦江東岸の浦東の景観。
 対岸は、租界時代に建てられた西洋建築物等が並ぶ外灘(バンド)。20世紀初頭には東方のウォール街と呼ばれた。
 かつての中心部にある「豫園(よえん)」。1559年に5万uの大庭園として造営、現在は2万uだということです。