■ 八重垣神社 2021.5.24
   
  境内図    鳥居前の夫婦椿。 夫婦椿は他にもありました。
 高天原から出雲の斐の川上に降り立った素盞嗚尊は、老夫婦(脚摩乳、手摩乳)と稲田姫が泣いている理由を知り
八岐大蛇を退治し、稲田姫の命を救われた。

 これに際し、素盞嗚尊は、斐の川上から七里離れた場所の大杉を中心に『八重垣』を造り、稲田姫をかくまった。
八岐大蛇を退治後に素盞嗚尊は、ご両親の許しを得て夫婦となり、この佐草の地に宮造りされ、御夫婦の宮居とした。
 
「八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を」という妻をめとった喜びの御歌から、『八重垣の宮』となりました。
 
W天つ神W素盞嗚尊とW地つ神W稲田姫命の御二柱は、この地で結ばれた出雲の縁結びの大親神様となりました。

この御二柱を主祭神とした八重垣神社は、古来より朝廷、国司、藩主の崇敬が厚い古社・名社となっています。
  斐伊川  天井川で氾濫が多かった川
上流部は素盞鳴尊の八岐大蛇退治の舞台
  素盞嗚尊の八岐大蛇退治
 鳥居   手水舎
  拝殿   左側が本殿、右側が拝殿
  本殿   「八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を」
 手摩乳神社(稲田姫命の母親神様をお祀り)と
貴布禰神社(水に関わる神様合わせて稲荷神社の倉稲魂命をお祀り)
  境内の西側から、小川と道路を渡り鏡池へと向かいます。
  鏡池の入り口    大杉跡(大杉を中心に八重垣を造営)
 「杉」に関して
日本書紀に『スサノオ、ひげを抜いて放つと、そのひげが杉の木になった。胸毛を抜いて放つと檜に、尻毛は槙に、眉毛は樟になった。』
との記述があるようで、その所縁の杉かもしれない。
  鏡の池   占い紙に硬貨を載せて、その沈下速度で良縁が実現するという。