■ 塩見縄手エリア  小泉八雲記念館・旧居・武家屋敷
   
  城内北西の稲荷橋を渡って、塩見縄手エリアに向かいます。   センダンの花が奇麗でした。
 稲荷橋  続いて、新橋を渡ります。 
 ◆ 小泉八雲記念館
  松江城の北側・お濠沿いに「塩見縄手」エリアが有ります。 
縄手とは、縄のようにひとすじにのびた道路のことをいい、この塩見縄手には、武士の家中屋敷がならんでいました。
この武家屋敷に住んでいた塩見小兵衛がのちに異例の栄進をしたため、称えて塩見縄手と呼ぶようになった。

「堀川めぐり」の船が出ていますが、時間の関係で乗れず。

 右上の写真は、小泉八雲記念館。
小泉八雲はギリシャ生まれで、1890年に来日し松江の尋常中学校で英語を教え る事からスタートして国内をめぐりました。
1896年に武家の娘「小泉セツ」と結婚し日本に帰化した。
『古事記』の影響で来日した彼は、妻の語る「怪談話」に興味を持ち、外国人向けに再話した「怪談」などを発行した。
  館内は写真撮影禁止なので、パンフレットを利用しています。
 ◆ 小泉八雲 旧居
  記念館の隣に、小泉八雲が住んだ「旧居」が有ります。 こちらは写真撮影可能です。
   
   
 ◆ 武家屋敷
  この武家屋敷の前に広がる通りは、塩見縄手と呼ばれ、松江開府の祖、堀尾吉晴が1607年(慶長12年)から1611年にかけて、
松江城築城の際に城地の亀田山と北側の赤山を掘削して、内堀とそれに並行する道路および侍屋敷を造成してできた
城下町の通りです。
 塩見縄手の通りは、更に松江城西側まで伸びていますが時間の関係でここで戻ります。
 屋敷が立ち並んでいたこの地域で唯一、当時のまま保存されているのがここ。
武家屋敷は、主屋、長屋門・塀などからなり、江戸期の面影を今に伝えています。
塩見縄手の名前の由来となったとされる塩見小兵衛も住んだ屋敷で、500〜1,000石程度の藩士が屋敷替えによって
入れ替わり住んでいました。

1733年(享保18年)の大火で焼失後再建されたもので、主屋はその後も幾度かの増改築を経ています。
  長屋門の「中元部屋」   母屋の玄関
  お迎えいただきました。  座敷
 中庭  当主居間
 奥方の間  
 くど  湯殿
  屋敷西側の庭  
 ◆ 塩見縄手通りのお濠側
   
  ◆ 松江堀川 地ビール館
  お城めぐりの集合場所か゜「地ビール園」でしたので・・・
乾いた喉を潤します。
 ペールエール を注文   ツアーの同行の方からおつまみをお裾分け頂きました。