■ 秋の中尊寺-4 岩手県・小さな旅
 中腹には東物見台があります。標識と『衣川古戦場跡』の表記があります。
左の写真の、右手には北上川が流れ陸橋と交差するように衣川が流れています。この広い一帯が古戦場になります。
 中尊寺の入り口前には、武蔵坊弁慶の墓があります。
 道路を挟んで向かい側のレストハウスの駐車場の奥に、弁慶が多数の矢を見に受け立ったまま絶命した「立往生」
の跡地の碑があります。資料館の前には、『戦死の跡』等の標識が有ります。
 芭蕉が奥の細道で来た時は、中尊寺も大層荒廃していたようです。
奥の細道の目的の一つに、悲劇のヒーロー・義経の亡くなった地、平泉を訪問することがありました。
昔、栄光を極めた藤原氏が滅亡し、その跡地も荒れていて『夏草や 兵(つわもの)どもの 夢の跡』と、詠んでいます。
 中尊寺とJR平泉駅の中程に、無量光院跡があります。
藤原秀衡が宇治の平等院を模して建立しましたが、今は田圃の中に跡地として残ってます。
 訪問した時には、偶然、発掘作業の現地説明会が開催されていて人が集まっていました。
復元整備作業を進めているようです。
 JR平泉駅の裏手・北側に柳之御所遺跡が有ります。今回入場していませんが資料館もあり、遺物が展示されている
ようです。
 三代・秀衡の頃の遺跡と考えられているが、政庁「平泉館」、「義経を住まわしていた」などはっきりしていないとの事。
現在、整備作業が行われていました。