■ 丸岡城址から永平寺へ |
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新暦9月24日ごろ、汐越の松を見た後、金津から丸岡城下を通り(坂井町を通ったかも知れない)松岡の天龍寺 に立ち寄った。金沢から、ずっと付いて来てくれた北枝(ほくし)という者とここで分かれることになった。 別れに当って次の句を詠んだ 物書いて 扇ひきさく なごりかな (もう秋となり、夏の間使った扇に何か書き付つけて引き裂いて捨てようと思ったが、それは名残惜しい→北枝との別れを惜しむ) そして、永平寺に向かい道元禅師の足跡を訪ねた。 |
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■丸岡城址 | |
大聖寺−汐越の松−天龍寺−永平寺の行程の中で、汐越の松から松岡の天龍寺に入る為に金津から二手に 道が分かれていて、北陸道から外れここ丸岡城下を通った可能性があるそうです。 丸岡は当時本多氏4万石の城下町。写真の丸岡城の天守閣は現存する物では最古の物だそうです。 Map この後、南にある松岡の天龍寺に寄り旧知の長老を訪ねた後、永平寺に向かった。 Map |
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■ 永平寺 | |
永平寺は、道元が開いた曹洞宗の大本山。芭蕉もこの門前町を通って永平寺に入ったのでしょう。 | |