■ 小松(本折日吉神社・多太神社・安宅の関)
  
 陽暦9月7日、金沢を経ち、小松に入る。ここは一泊の予定だったが、土地の皆に止められ三泊した。
小松では、多太神社(ただ)、本折日吉神社などを訪問した。
本折日吉神社では、次の句を詠んだ。

 小松というところで詠んだ句
しおらしき 名や小松吹く 萩すすき
    (小松とは、しおらしい名前だことよ。 秋風が、萩やススキにも吹きかかっている)

 ◆本折日吉神社
 JR小松駅前の通りから数えて5本目の太い通りを左折し500mほど南下すると右手に鳥居が見えます。 Map
 本殿の左手の奥に芭蕉留杖の地碑と円筒状の解説&『しほらしき…』の歌が刻まれた碑が有ります。
ここから更に500m程進むと、多太神社に出ます。
 ◆多太神社(ただ)神社 <旧・太田神社>
9月10日、再び多太神社に詣でた。  Map    
この神社には実盛の兜や錦の直垂の切れがある。 その昔、源氏に所属していた時に頼朝公から賜ったものだと
いうことだ。普通の武士が所有するものではない。兜は、目庇から吹き返しまで菊唐草の彫り物がしてあり、それに
更に金をちりばめて加えて竜頭を飾り、鍬形を打ちつけてある。
 実盛が討ち死にした後、木曽義仲が祈願状にそれら兜と錦の直垂を添えてこの神社に奉納したことや、樋口の
次郎がその使いをしたことなど目の前で見るように、この神社の縁起に記載されている。

むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす
    (むざんだなぁ、斎藤実盛※の遺品の兜の下でコオロギが鳴いている。このコオロギは実盛の霊かもしれない)  

1183年、斎藤実盛は平家側について木曾(源)義仲と戦い、加賀の国江沼郡篠原の地で討ち死にした。
 73歳のときであった。老兵と思われない様白髪を黒く染めて参戦したことがみんなの涙を誘った。
 参道に、入口から 兜、芭蕉像、『むざんやな…』の句碑が続いて配されています。
 ところでこの芭蕉さん、千住の芭蕉さんに良く似ている。彫刻師が同じ方かもしれない。

◆安宅の関
安宅の関 安宅の関の銅像
 
奥の細道が『義経追慕の旅』でもあり、岩手県平泉まで行っていますがここ小松の安宅の関には寄っていないようで
す。安宅の関そのものは逃避行を続ける義経一行を捕らえるための臨時の関所でしたので芭蕉が訪れた頃は、もう
無くなっていたのでしょう。
  
 『勧進帳』で有名な安宅の関。
関守の富樫はうすうす義経一行だと感づいて居たが、弁慶が白紙の『勧進帳※』を読み上げたので通そうとする。
が、部下がどうも怪しいので再度吟味するよう進言。厳しい尋問にあう。この危機を乗り切るため弁慶が主君である
義経を叩きつける姿に感動した富樫が通行を許可したとされる。今もその跡には義経、弁慶とともに富樫泰家の像
が並ぶ。 

※寺や仏像を建てるための寄付を要請する趣意書。