■ 金沢 |
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新暦8月29日(旧暦7月15日)芭蕉と曾良は金沢入りしました。 大阪から通う商人・何処(かしょ)が来ていたので会い、浅野川に架かる中島橋近くの京屋吉兵衛の家で共に一泊、 そこで竹雀と一笑に使いを出す。 竹雀は片町で旅籠を営み、そこに宿泊する事になっていた。又、一笑も金沢に来たら我家に泊まって欲しいと言 って来ていた。 芭蕉のファンである一笑(本名:小杉味頼、通称:茶屋新七)に会うのを楽しみにしていたが、彼は前年の暮れに 亡くなっていた。 一笑の兄が、一笑の菩提寺・願念寺で追善の句会を開催したので参加し一句。 塚も動け わが泣く声は 秋の風 (将来を嘱望されていた一笑)私の悲しみが激しい風となって墓を動かせ ある草庵に招かれて詠んだ句 秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子 (あきすずし てごとにむけや うりなすび) (秋の涼しさが味わえるここ。皆でもてなしの瓜や茄子をいただこうじゃありませんか) 旅の途中で詠んだ句 あかあかと 日は難面も あきの風 (あかあかと ひはつれなくも あきのかぜ) (赤々とした夕日は無常にも沈もうとしている。そこには秋風が心細く吹き始めてきたことよ) |
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金沢の繁華街である片町二丁目2-2・北国銀行前にある『芭蕉の辻』碑。 Map 『元禄2年向秋 芭翁奥の細道途足跡』の文字が見えます。ここから南西に犀川大橋を渡ると寺町です。 芭蕉が訪れた同じ時期に金沢を訪問しました。とは言え、奥の細道探訪とは違う目的のバスツアーで金沢宿泊に なりましたので早朝5時に片町のホテルを出発し芭蕉の足跡を訪ねました。 |
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犀川にかかる犀川大橋を渡ります。両岸には散策路・室生犀星の「犀星のみち」が整備されています。 手持ちの資料では、写真右手に芭蕉句碑が有る事になっていましたが、探しても見つかりませんでした。どこかに 移設されたのでしょう。 ※後日見つけました。最下段に追加します。 橋を渡って程なく成学寺に到着です。 Map |
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門をくぐって直ぐの境内に芭蕉句碑「あかあかと…」の句碑が有ります。 しかし、『芭翁』の字は分るのですが、俳句は確認できませんでした。立て看板もあるので間違い無さそうですが。 その左手の塀のところに『一笑』の塚がありました。 |
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成学寺の前の太い通りを南西に進むと長久寺に到着です。 Map お盆の時期なので親戚の方一同が集合されたのでしょうか?境内には車が一杯。本堂には、寝ている方が見えます。 何せ、夜は明けたとは言え未だ5時過ぎの事、泥棒に間違われないようそろりそろりと句碑を探して回ります。 山門の左手に当る古木の根元に「秋涼し…」の句碑を発見しました。 |
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長久寺から先ほどの成学寺の方に戻り、忍者寺・妙立寺の脇にある願念寺に向かいました。 Map こちらは門が閉ざされていましたが、門前に「塚も動け…」の句碑が有りました。 |
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2007.9.22犀川大橋の近くで句碑を発見。昭和33年(1958年)4月、小松砂丘連中建立したようです。 「あかあかと 日は難面も あきの風」 |
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