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■ 黒羽 (栃木県大田原市黒羽/芭蕉公園) |
1689年新暦5月21日(−6/3)から黒羽の地に13泊14日しています。
黒羽の領主の代理である浄法寺なにがしの家(芭蕉の知人、桃雪)を訪ねる。自分たちの訪問を主は思いもかけ
ないほど喜んで、日夜語り続けて、その主人の弟の桃翠などという者が毎朝毎晩訪ね来て、自分の家にも連れて
行き、親類の人にも招かれ、何日か経つうちに、ある日郊外に散歩し、犬追物の跡地、歌枕で有名な那須の篠原を
踏み分けて、玉藻の前の古い塚を訪れた。そこから那須神社にお参りする。那須与一が扇の的を射抜いた時、「徳
に我国の氏神の正八幡よ」と誓ったのがこの神社(※1)でございますよと聞いて、しみじみと感動が湧き上がる。
日が暮れたので桃翠宅に戻る。
修験道の寺の光明寺というお寺(※2)があり、そこに招かれ行者堂を拝観する。
夏山に足駄(あしだ)を拝む首途(かどで)かな
(これから訪れる陸奥の山々を見ながらこれからの長旅を思い、みちのくへの第二の出発にあたり「役の行者」の履く高下駄を拝んで無事を
願う。そのような旅立ちであるよ)
(※1)実際に誓った神社は、殺生石のある温泉神社のこと。
(※2)前頁の那須野を参照 |
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黒羽の那珂川東岸の丘に広い駐車場が整備されている黒羽城址公園があります。
公園からは那須の連山を展望できます。 |
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城址公園からは、芭蕉公園・芭蕉の広場へ続きます。隣に進むと目に入ってくるのは芭蕉の館(資料館)です。
建物の前には馬に乗った芭蕉と曾良の像が有ります。 |
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像は、前頁の『那須野』で取り上げた情景を現しているようで近くの石碑に『かさねとは…』の句も刻まれています。 |
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芭蕉の館から前に進むと芭蕉の広場の一角に出ます。
鶴鳴や其声に芭蕉やれぬべし
那須の黒羽滞在中の作。芭蕉の木(草)と鶴を描いた絵の画賛。
(この絵の中の鶴は滅多には鳴かないだろうが、もし一度鶴の一声を発したならこの芭蕉の葉はすっかり破れてしまうであろう。)
写真の右上の句碑は、一旦下の車道に出てから見かけたもの。
田や麦や中にも夏のほとゝぎす
那須の黒羽滞在中、桃雪亭での作。地域を褒めた挨拶吟。
(緑の田と黄ばんだ麦畑が目に入る景色の中で、ホトトギスの声が夏の気配を彩っている) |
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冬の低い日差しの中の石庭風の景観。 |
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800mの長さの『芭蕉の道』と言う散策路が有り、句等が有ります。時間にゆとりがあれば、のんびり散策するのが
良いですが、ショートカットで句碑を探訪する為には駐車場から約300m程車道に沿って南下し、ペンション入口から
(写真右上の奥に見える坂道を入る)散策路を車道側に沿った形で進むと一通り句碑を見ることが出来ます。
写真左上は、途中に有る 出立の地・千住での初句『行春や鳥啼き魚の目は泪』の句碑 |
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ペンションの建物脇を上り詰めると浄法寺桃雪邸跡地に出ます。その手前一隅には句碑が有ります。
写真左上は、連句碑で碑文は「俳諧書留」に書かれたものを刻んだもの。
芭蕉翁、みちのくに下らんとして我蓬戸を音信て、猶白河のあなたすか川といふ所にとゝまり侍ると聞て申つかはしける。
雨はれて栗の花咲跡見かな 桃雪
いづれの草に啼おつる蝉 等躬
夕食くう賤が外面に月出て 翁
秋来にけりと布たぐる也 曾良 |
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ここに建物が有りますが、多分桃雪邸を模したものと思われます。秋鴉主人(桃雪)の夏座敷前に広がる庭園の
佳景に対す賛美の句。
山も庭もうごき入るや夏座敷 |
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