■ 那須野にて  (栃木県大田原市黒羽)
『かさね』ちゃん
この地で出会った女の子の名前はかさね。曾良は連想ゲームの要領で八重撫子に結びつけ一句を詠んだ。
  
かさね⇒重ねる⇒八重。 + 撫でたいほど可愛い⇒撫子 = 八重撫子
 1689年新暦5月20日(−21日の二日間)那須野を通った。
 
 那須の黒羽と言う所に知人がいたので、ここから那須野越えに取りかかって真っ直ぐに道を行こうと思う。
遥か向うに一つの村を見かけて歩いていくと、雨が降り、日も暮れてきた。そこで農夫の家にお願いして一泊して(※)
夜が明けてから再び野中の道を進んで行く。 すると、そこに放し飼いの馬をいるのを見つけた。草を刈っている男の
人に窮状を告げると、田舎の農夫とは言えど流石に人の情と言うものを知らないわけではない。
「どうしたらよいものかなぁ。(私にはどうしてもやれないが)さりとてこの野原は縦横に道が分かれていて、土地に慣れ
ていない旅人では道を間違ってしまうでしょう。それが気がかりでごさいますので、この馬に乗っていきなさいませ。
この馬がとまったところで馬をお返し下さい」と言って貸してくれた。
 馬に乗って行くと、小さな子供二人が馬の後を追いかけて走る。一人は小さな女の子で、名前をかさねと言う。
田舎では聞き慣れない名前が優雅に思われたので、曾良が一句詠んだ。


 かさねとは 八重撫子の 名なるべし  …曾良
 (かさねとは、この女の子に似合う八重撫子を意味する名前であろう)

 程なく人家のあるところに着いたので、馬の借り賃を鞍のつぼに結びつけて馬を帰したのだった。

※農家に泊めてもらったことになっているが曾良日記によれば『翠桃』の家にお世話になっている。
 上の白旗城址は、奥の細道には直接関係は有りませんが、下の修験光明寺跡、鹿子畑翠桃宅跡、西教寺を訪ね歩く際の目印になります
ので記載しておきます。(※後述)
 次の頁の『黒羽公園』は、道路案内板などが良く整備されていて迷いませんが、那珂川の西側にあるゆかりの地は見つけにくいです。
東北道SAで購入した昭文社・ライトマップル栃木県道路地図にもこの白旗城址は記載されていますのでここを基点にすると良いでしょう。
写真に向かって手前の道を少し下ったところに、下段の修験光明時跡が有ります。 また、右手の道を進むと左手に3段下の西教寺、右手に
2段下の鹿子畑翠桃宅跡が有ります。 更に進むと(今回見つけられませんでしたが)玉藻稲荷神社、犬追馬場跡があるはずです。
 修験光明時跡は、細い道路の傍らに上の様な標識が立っています。2m程の高さの所を登ると説明板と、句碑が有ります。 Map
句は、 
夏山に足駄を拝む首途(かどで)かな  …芭蕉
 鹿子畑翠桃宅跡・墓地は、下の西教寺から少し進むと右手に上の修験光明寺と同じような案内標識が出ていますので、田んぼ道を中に入り
、又直ぐに右手に曲ります。距離は僅かですが、途中にも案内標識が有ります。    Map
 曾良が詠んだ『かさねとは…』の句碑が有る西教寺。 境内に入って左手(本堂の脇)に句碑が有ります。   Map
 かさねとは八重撫子の名なるべし の句碑
(※)H19.1.4に黒羽地区を車で 殺生石−芭蕉の里−雲巌寺−黒羽の那珂川西岸の順に句碑の有るところを回りました。
 雲巌寺までは順調でしたが、黒羽町の西側で常念寺・明王寺を乗車したまま探しましたが商店街・住宅が建ち並び車の往来も多いため
ぐるぐる何度も回りましたが見つけられませんでした。諦めて、北西方向2km程離れた光明寺に向かうことにしましたがこれまたどの道を
行ったら良いか?迷子状態でした。黒羽郵便局の手前でやっと小さな青い道路標識を発見し市街地から見て右手の細い道に Map 入り
、途中「奥の細道標識」の有る二股の道路を左折して Map   修験光明寺跡に辿り着くことが出来ました。