■ 石巻 その3 (宮城県石巻市) | 石巻 その1 石巻その2(金華山) |
芭蕉、曾良は日和山から下りて、住吉神社を詣で『袖の渡り』を見て宿に戻った。 上の写真は住吉公園。住吉神社は左手奥に有ります。赤い橋が架かった小さな島は雄島でその右、小さな岩が 石巻の地名の由来になったという『巻石(↓近寄って撮った写真)』です。この辺りが『袖の渡り』です。 大淀三千風(※仙台の頁参照)は「松島眺望集」の中で、この巻石を「石巻。川中に大きなる岩あり。此かげ浪巴 (ともえ)をなせり=岩の廻りの流れが渦を巻いている。この故にこの名有り」と書いている。 Map |
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『袖の渡り』の石碑。 義経が奥州下向の際、船賃の代わりに(立派な着物の)片袖をちぎって渡した事からその名 がついたと言われています。 みちのくの袖のわたりの涙川こころのうちにながれてぞすむ …新後拾遺和歌集 奥州の袖の渡りを渡るときの心細さによる涙ではないが、私の涙は心の中に澄み切って流れている |
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袖の渡りを見た後、宿に入った。宿泊した場所は現在ホテルになっている敷地にあった「四兵へ」宅だった。 写真右端の(小さく写っている)石碑『新田町碑』に一泊した旨の記載が有ります。 Map 写真右上は、住吉公園から見た『尾ぶちの牧』の牧山。ここに放牧場が有ったようです。 みちのくの尾ぶちの駒も野飼ふには荒れこそまされなつくものかは …後選和歌集 奥州の尾ぶちの牧場の馬も、放し飼いなどしていては荒々しくなって人になつくようには成る筈が無い |
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みちのくのまのの萱原遠けどもおもかげにして見ゆといふものを …万葉集 巻30 笠女郎 奥州の真野の萱原は遥かに遠いけども面影になって見えるというのに、近くにいるあなたを恋い慕わない訳には行かない やっとのことで貧しい小さな家に一夜を泊めて貰い、夜が明けると再び見知らぬ道を迷いながら行く。 @袖の渡りや A尾ぶちの牧、 B真野の萱原 などの歌枕の場所を横目に見ながら、はるかに続く北上川の土手 の上を歩く。心細く見える長い沼に沿って進み、戸伊麻というところに… と、記述されているが@とAは、宿に入る前に見ていることになります。 Bは、宿泊場所から北に進んでからのこと(石巻市稲井地区 ) 今回、真野川の「萱原」を探して車を走らせましたが道路が狭く、堤防は車で入るのには憚られるような細い道、適当 に進んでいって真野大橋なる場所に遭遇しました。萱原とは行きませんがそんな感じの景観です。 Map |
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北上川に沿って北上すると鹿又地区(現・石巻市、旧・河南町)に入ります。川沿いの八雲神社には芭蕉句碑が 有ります。 Map 川上とこの川下や月の友 深川の五本松で詠んだ句らしい。環境が似ている事から碑に刻まれているのでしょう。 |
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今では立派な橋(天王橋)が架かっていますが、昔は船で渡ったのでしょう。 | |
更に進み飯野川橋を渡ると飯野川地区(現・石巻市、旧・河北町)に入ります。 少し先に「芭蕉公園」と言うところが有ります。可動式の北上大堰↑の実物見本などと共に、奥の細道に『長い沼』 と書かれた場所・意味などの解説版がありました。 Map 北上川は、明治の末から大改修が行われ芭蕉が歩いた思われる道は今の北上川の下になっています。長沼は 昔、本流が変わったときに残った川の跡が長い沼として残っていた。上の写真の少し川上になります。 |
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