■ 石巻 その1  (宮城県石巻市)      石巻その2(金華山)    石巻その3
 新暦6月26日-松島から、平泉に向かおうとして、歌枕として有名なあねはの松や緒だえ橋があると伝え聞いて行っ
た所<中略>、とうとう道を間違えて、石巻という港に出てしまった。「こがね咲く」と昔の人が詠んで天皇に奉った金華
山を、海上遠くに見渡して見ると、数百の回船が湾の中に集まり、人家が土地を取り合うようにして隙間無く立ち並ん
で、竈から出る炊事の煙が一面に立ちのぼっている。思いもよらずこんなところに来てしまったものだなぁと、宿を借り
ようとするが、まったく宿を貸す人はない。やっとのことで貧しい小さな家に一夜を泊めてもらい、夜が明けると真野の
萱原などの歌枕の地を眺めながら北上川の土手を歩き、登米に一泊、平泉に着いた。
   

※当初の予定では今の国道4号線を北上し、古川の緒だえ橋、金成のあねはの松などを見学して一関に入る予定だった。或は仙台を案内した
絵師の加右衛門の勧めで立ち寄ったのかも知れません。次の目的地あこがれの平泉に辿り着くまで苦労して行ったと言う設定を目論んだ文学
的創作により「道を間違えた」・「宿を貸すものも無い」と書いてあると言われている。
石巻は繁栄している港町で、また途中知り合いになった人物から宿の紹介もしてもらっています。
北上川の河口に有る高台、日和山公園に奥の細道紀行三百年を記念して建立された芭蕉・曾良像がある。
日和山は、桜とツツジの名所であり市民の憩いの場所となっている。また、頂に鹿島御児神社もある。豊臣秀吉に没
収されるまでの400年間、源頼朝から所領を与えられた葛西氏の居城が有った所。伊達政宗が岩出山城から仙台に
城を移転する際、ここ石巻の日和山も候補(他説も有り)となったが徳川家康の決済により現在の仙台・青葉山に決ま
った。
 「たら・れば」であるが、もし、ここに政宗が城を築いたとしたら水運を利用して更に力を増したと想像され、家康もこ
の辺を心配したのではないかと勝手に想像している。
神社の境内に芭蕉の碑があるが、判読は難しい。日和山公園から河口方向を望む。左上の防波堤が見て取れると
思いますが、新漁港。豊富な海産物が水揚げされる。以前は川の対岸にあった。天気がよければ左遠方に牡鹿半
島が見え、その先に芭蕉の記載した金華山がある。
 『こがね花咲く』と昔の人が詠んで天皇に奉った金華山を、海上遠くに見渡してみると、数百の回船が…
 
と、記されていますが金華山は牡鹿半島の向こう側にある島なので、石巻の日和山からは牡鹿半島の山々に邪魔
されて見えないはずです。(位置関係 Map)  
↑上の写真は、松島湾内で最大の宮戸島の中央にある小高い丘、松島四大観と呼ばれる松島のビュースポットの
筆頭「大高森」から見た牡鹿半島(おしかはんとう)の景観です。  Map
頂上からは松島の島々はもちろん、蔵王や栗駒山、石巻湾から金華山までの大パノラマが楽しめるところです
半島の手前に平らな田代島、網地島が見え、写真中央部にとがった山が見えますが、あれが金華山だと思います。
日和山から見る石巻市の市街地。古くは(芭蕉に、こんなみちのくの田舎にこれほどの繁栄している港があるとは、と思わせた)江戸
へ送る米などの船出港として、近年は漁業基地として栄えた。宮城県第二の都市。
川の中瀬にドーム型の建物「石ノ森漫画館」がある。この中瀬、かつては造船所が立ち並んでいたが時代の波に勝
てなかった。漫画館の左手の緑地が住吉公園でこのあたりに「袖のわたり」があったとされる。

写真右上は、住吉公園から日和山を見たもの。
漁業の衰退、郊外店舗の進出に市街地は地盤沈下していることから漫画による活性化を図っている石巻市。
JRもこれに協力している。
写真左から、石巻駅舎、 仙台〜石巻間を一往復している石ノ森章太郎の漫画が描かれた「マンガッタンライナー」、 石巻駅舎に
H15.7.17オープンしたマンガッタンカフェ「えき」、 早速寄って見たがその店内は仮面ライダーグッズなどが並びコーヒーを飲みな
がら旅人の目を楽しませてくれる。
石巻の月の浦からローマを目指して伊達政宗が派遣した遣欧使節団が出発している。そのとき太平洋を
2往復した「サンファンバウティスタ号」の復元船が石巻市・渡波に係留展示されている。