■ 笠島(名取市) 藤原実方の墓 | |
江戸の千住を旅立つこと35日(新暦6月20日)、名取市笠島の郷に入った。 笠島の地に入り、藤中将(とうのちゅうじょう)実方の墓はどの辺にあるか、訪ねたところ「ここからはるか離れた右手 に見える山際の村里を箕輪の笠島といい、道祖神や塚、形見のススキなどがある」と教えてくれた。 しかし、このごろの五月雨で体調が悪く、疲れているので遠くから眺めやるだけで通り過ぎることとする。 ここで一句。 笠島は いづこ五月の ぬかり道 …実方ゆかりの笠島は何処らへんか。この五月のぬかり道では訪ねることも出来ない。 |
|
その昔、平安中期の歌人「藤原実方」は、左遷で陸奥守として、みちのく多賀城に赴任してきた。 古より、歌枕に歌われた陸奥の国に来て(今で云う海外旅行並)、見るもの聞くものが楽しくてしょうがなかったと言わ れている。 ある日、ここ名取市笠島の道祖神・神社の前を下馬せずに通り過ぎたら落馬してしまい、これが原因で死亡してしま った。 そののち、西行がこの地を訪ね、 朽ちもせぬ その名ばかりを とどめ置きて 枯野の薄 かたみにぞ見る(山家集)と弔いの歌を歌った。 これらの話にある実方の塚を、芭蕉は訪れようとしたのである。 |
|
正一位 道祖神の表記がある鳥居。下の、実方の塚から徒歩15分位南のところにあります。右上は本殿。 |
|
↑ この前の道を、実方は通り、落馬したといわれている。 ◆参考地図 道祖神社 Map 実方の墓 Map →右は、鞍掛け石と呼ばれ、実方が鞍を掛けた石と言われるもの。 或いは、源義経とも言われ、駐車場の隣に有ります。 |
|
実方の墓は、山際に点在する農家の裏手にある。 | 農業用水路の橋を渡り、中に入ると、『笠島…』の句碑 がある。 |
笠嶋は いづこさ月の ぬかり道 芭蕉句碑の拡大 2010.5.22 | おくのほそ道の碑 2010.5.22 |
左上の写真は「かたみのススキ」とされているもの。左の碑(拡大写真は左下)は草履碑。 右の細道を奥に進んで行くと、突き当たりに藪柑子で覆われている実方の墓(写真右上)とされている所に着く。 |
|
草鞋塚の碑 仙台藩士の俳人、松洞馬年の句 2010.5.22 笠嶋はあすの草鞋のぬき処 |
中将実方朝臣之墳 2010.5.22 |
墳墓左手の顕彰歌碑は、明治41年(1908)5月愛島村有志が盛大 な実方朝臣没後910年祭を行った際のもので、かの藤原行成との諍 いのもとになった歌を万葉仮名で刻んでいます。 桜狩り雨は降りきぬおなじくは ぬるともはなのかげにかくれむ |
かたみのすすき 後に西行法師がこの箕輪・笠島を訪れ、 実方の形見とて薄の穂波 だけとなっている姿に涙して追悼の一首を手向 けている。 朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて 枯野の薄かたみにぞ見る |
|
|
◆芭蕉は道を間違った説 白石から仙台に北上する道を素直に進むと、A岩沼市 の二木の松を見学した後、@名取市の藤原実方の墓の ある笠島を訪ねるのが自然ですが、芭蕉のおくのほそ 道の記述によると@→Aと逆になっている。 白石宿から北上して大河原宿へと向う時に、右の方に間違って入る と、角田市に向かう道に入ります。 途中右手に「イ」笠島地区( Map )と言う所が有ります。次いで「ロ」 二木の松を訪ねたとしたら記述の通りになります。 道の右手に笠島地区が有り、『右手に見える』が一致する等 芭蕉は道を間違ったと言う説の根拠になっています。 ただし、奥の細道には装飾が有るので参考まで。 |
|