■ 宝覚寺    台湾一周5日間2012.8.12-16 -@   2012.8.13    台中市
 トラピックスの「びっくり台湾ぐるり周遊5日間」と言うツアーに参加した。
何故、台湾なのかは5月の台湾旅行の項で記載したが第一の理由は2011.3.11東日本大震災へ寄せてくれた支援に
関するささやかな返礼です。
 第二の理由は、仙台から気軽に旅行に行ける対象地の内、中国は「2010年9月7日の尖閣諸島漁船問題」で嫌気が
さしていたし
また、韓国は韓国でありもしない「慰安婦問題」をネタに乞食紛いの無心をしてきていて、これまた嫌悪感一杯なので除外。
 第三の理由は、勤務先のお盆休みとカレンダーとコース設定がマッチしたと言うことです。
   
 さて、第一日目は仙台から桃園空港へ飛び、バスで台中に移動しました。
二日目、8月13日から観光のスタートです。
第一番目の観光地は「宝覚寺」です。
  日本人遺骨安置所の塔
 「宝覚寺」は、1928年建立の仏教寺で台中近辺に移住した日本人の遺骨1万4千人余りを納めているお寺さんです。

 日本人の遺骨は元々はここに有った訳ではなく日本人墓地に葬られていたが、戦後に中国本土から渡ってきた国民党に
日本人の墓は荒らされ放題、放置されていた。「国民党の行った仕打ち」といえる。
日本人の妻を持つ方が遺骨収集をして、台中近辺の遺骨はこちらに納骨されました。
  
 2-3年前から台湾に中国本土からの観光客が来るようになりましたが「中国人は絶対来ません」とガイドさん。
 
 日本人の遺骨安置所の隣に、太平洋戦争で「日本軍に参加し命を落とされた台湾人」の慰霊碑が建立されています。
その石碑の「霊安故郷」の文字は李登輝前総統が揮毫(きごう)したものです。

 反日教育に終始している中国本土、南北朝鮮では考えられない光景ですね。
日本人遺骨と日本軍に参加した台湾人の英霊の慰霊碑が並んでいるなんて。
台湾の方々の心の大きさに敬意を表するものです。
  
 慰霊碑脇の観音堂  足元の白い部分は地震(1999年)の補修跡。
 1999年に台中を中心に規模7.2の大地震がありました。そこで、元々の本堂の周りに「鞘堂」を建てて囲っています。
  
 「日式」とは言え、多少馴染みがたい本堂になっています。
 ご本尊など。  インドでは「仏像」が出来る前は「仏」の対象として象を
祀った。それで、お寺に象の像があるようです。
 日本なら「仁王像」でしょうが・・・一応、武器を持った像が本尊を守っていました。
 本堂から見た象と山門  
 「お灸」では有りません。卍の格子窓で以前は中に入れて胎内から外を覗けたようですが、今は中に入れません。
でも、こんなに覗き窓が必要だったのでしょうかね。
 宝覚寺の名物は何といっても高さ30mに及ぶ弥勒大仏。日本なら「布袋さん」で御馴染みですがおへそに触ると
「へそくり」が増えるとか。もっとも日本人向けの「観光用ご利益」かも知れません。
実際には触れませんので、↓ 脇にある小さな布袋さんを触ります。
 観光していると老婦人が二人ベンチでお話をしていました。
大仏の背中を撮影して戻ってくると、一人は立ち去ったようで一人の老婦人がまだ居りました。
偶々、同行したご夫婦がその老婦人の所に差し掛かりましたがその時、
日本語で「そこに立って、こちらから写真を撮ると全体が入りますよ」と話し掛けてくれました。
台湾には、日本統治時代日本語を習い、今でも日本語を話す方が居るのを知っていましたので嬉しい思いがしました。
 という訳で、記念に私も撮影しました。
勿論、そのご夫人には丁寧に御礼を申し上げました。
 
 冒頭の3文字が読めませんが、『○○○の花に微笑む弥勒像』と言う日本語の句碑。もっとも「の・に・む」はひらがなで
残りは漢字ですけど。