■ 中正祈念堂       台湾まんきつ紀行北部周遊4日間 2012.5.3-6 C
  台湾旅行2日目の4っつ目の観光場所は中正祈念堂です。
我々日本人にとって「中正」って誰? と、なりますが「蒋介石= 蒋中正」のことです。

 中正紀念堂は中華民国の初代総統である蒋介石を顕彰し1980年に竣工したものです。
2007年民進党は「台湾民主紀念館」と改名したが、2009年国民党は「中正祈念堂」に名称を復活させた。

 戦争を含む歴史と、政権が絡みますのでどう説明書きを記載するのか素人の私は悩みますが・・・
ばっさりと書くと次ぎの様なものでしょう。
 
 蒋介石(1887年〜1975年)
中国/中華民国の政治家。中華民国総統。

 1908年から日本に留学して陸軍士官学校に学んだことがある。
孫文が死去すると国民党政権(国府)の実権を掌握し、中国統一を目指し、中国共産党と戦う。
1937年の盧溝橋事件を契機に日本との全面戦争に突入する。1945年、日本の敗戦に伴い、共産党との内戦が再燃し敗北。
1949年に蒋介石は国府軍の残党とともに中国本土を脱出し台湾に来た。

 蒋介石が台湾で先ずやったことは台湾の富豪を日本に協力したという名目で逮捕し全財産を没収して自分のものにして
しまったのです。
そして台湾土着の民衆を差別し迫害し、殺害しました。
 
 台北近郊の九分(イ分)を舞台にして二・ニ八事件を描いた映画「悲情城市」はこの辺を描いているようです。

『蒋介石は、戦後の日本の「日本分割」に反対した大恩人』との評価をする日本人がいるようですが
単純には評価できないようです。
  
 元々の台湾居住者(本省人)を迫害した外省人(戦後大陸から渡ってきた人々)という事で
『犬(日本人)が去った後、豚(外省人)が来た』 
 …日本人はキャンキャンとうるさかったが、その後に来たのはもっとひどい。
  日本統治下では夜に鍵を掛けなくても寝ていられたのが、2重の鍵を掛けなければ危ない国になってしまった。

『アメリカは日本に 原爆を投下しただけだが、台湾には蒋介石を落とした』
との日本統治下の日本をむしろ良かったと評価する台湾の人々の感情もあり、
立場によっては、必ずしも台湾の人達が好ましく思ってもいないようです。

 そういう意味で、ツアーでは必ず組み込まれますが『日本人は複雑な思いのする』観光施設です。
   
 国花の梅が階段の手摺にデザインされています。  中国・北京郊外の天壇の様なデザインの建物です。
 ここも衛兵(儀仗隊)の交代式が売りになっています。 今日は、白い制服(夏服)なので海軍のようです。
 蒋介石の銅像がで〜んと構えています。  方向は、中国本土を向いています(~~;
 観光客の関心の対象は当然の事ながら衛兵です。
  
到着したのが現地時間の16時丁度でしたので(毎時丁度に交代式が有る)、始まっていました。
  今まで守っていた衛兵が台の上から降ります。
ただ台から降りるわけではなく少しパフォーマンスが有ります。
 
  交代式はダンダンと軍靴で床を踏み込んだり、銃をくるくる回したりするので見応えが有ります。
 下に、その様子の一部を連写した写真をGIFアニメーションにしてみましたので雰囲気がわかるかと思います。
 
  銃を誤って落下させたりした時は、後で腕立て伏せ○回かの罰が待っているとの事でした。
 ここは、日本統治時代の山砲隊、歩兵第一連隊の軍用地跡地であるが、本堂のほかに国家戯劇院や国家音楽庁がある。
 途中で見かけた烏、カササギ(カチガラス)  クビワムクドリのピンボケ写真
  
                  士林夜市へ