■ 旅順 水師営会見所 2018.5.6
   
  旅順の地図   今回、「桜祭り」の為に203高地は訪問出来ません。
  「水師営」とは、清朝海軍の兵営の有った場所で、地名。
 203高地の陥落により、1905年1月1日、ロシア旅順総司令官ステッセル中将から降伏の申し入れがあり
日本側は翌日これを受け入れ旅順の戦闘は終了。1月5日に乃木将軍とステッセル中将が会見を行った。

  適当な場所が無かった為、水師営の農家を会見所とした。
 会見所は、向かって右側が写真資料室となっていて、左側は当時の懐中時計とかを販売していた。
誰も買わなかったけど・・・・。
  右の集合写真は、ここで撮ったとの事。  
  203高地の戦闘状況などの写真  
  下から攻めて、上から狙い撃ちされた日本軍が想像できる山容。
 
  日露戦争は、朝鮮・満州の支配権をめぐり日本とロシアの間でおこなわれた戦いです。
1904年2月に日本の旅順攻撃で開始し、翌年に旅順を制覇、
同年5月にバルチック艦隊との日本海海戦の勝利によって軍事上の勝敗はほぼ決定しました。