■壱岐対馬③ 一支國博物館  2019.5.1
   
  壱岐の観光、次は一支国博物館。   バスの車窓から、高台の博物館が見えた。
  博物館到着  
  入館すると、係員の案内があります。

先ずは、階段を登り2Fで魏志倭人伝のうち壱岐に関する記載の部分を説明受けます。

又南に一海を渡ること千余里、名を瀚海(かんかい)と日う。一支國(原文は、一大國です※)に至る。
官は亦卑狗(ひこ)と日い、副を卑奴母離(ひなもり)と日う。方三百里ばかり。竹木そう林多く、三千ばかりの家有り。
やや田地有り、田を耕せどなお食足らず、亦南北に市てきす(商いに行って米を購入)。
 
※ 「一支」を写本しているうちに「一大」に書き間違ったのだろうとの説明でした。
  一支国は、「魏志倭人伝」に記された国の中で、国の場所と王都の位置(原の辻-はるのつじ)の
両方が特定された国内唯一の遺跡だそうです。

 ビューシアターで一支国の歴史や生活がドラマ仕立てで上映されており、終了するとスクリーンが下がり
目の前に、写真の2段下の「原の辻遺跡」が広がります。
  一支国・原の辻遺跡の位置。 壱岐の島の中程の東側、内海湾の内陸部にあります。
  この写真は、4階の展望台からの光景。  
  上の写真は、2階のシアターのスクリーンが下がった後に開けた復元遺跡。 (望遠で撮影しています)
  一支国の都である原の辻(はるのつじ)は、3重もの環濠で守られた集落。
発掘された住居跡は130。海岸には面していませんが、船着場も発掘されました。

 調査結果により、海岸の近くと思われた各国の都は内陸にあり、小さな川を小舟で海岸へと行き来し、
国の統治範囲は自然の作った地形の範囲であることが分かったようです。

 資料館は、2階のビューシアターから各種資料が展示されているゾーンを通過しながら1階の
ジオラマミニチュア模型のある「一支国トピック」ゾーンに入ります。

 写真左上は、海を渡った船の模型。
丸木舟の上に、波除の板(現代の船腹)をくっ付けた構造の様です。
  港から、小舟で行き来しているのと、造船の様子。
丸木舟を加工する様子は右上の写真
  『分かりますか?』とガイドさんが質問したのは、
上の写真の「赤とんぼ」。かなり、芸が細かい♪
  小舟で到着した渡来人を迎え入れている様子   市場の様子。 上の丸円に水田が見える。
  青い服を着て、履き物を履いているのが渡来人。
左の女の人は、小枝で虫を追い払っている。
  人形の顔は、壱岐の人々がモデルだそうです。
表情豊かな人々。
  犬の取引。指を2本立てている。 
スズメまでいる。
  製鉄の様子らしい
  生活の場のエリア   壊れた土器の廃棄
  家屋の建設現場  
  餅をつき、料理している様子   餅
  占いをしている様子
「ト骨(ぼっこつ)」占いはシカやイノシシの骨に焼いた木の棒を押しつけて、
骨に入るヒビの入り方をみて吉凶を判断しました。

 邪馬台国の女王、卑弥呼もこんな感じだったのかな?
 「あくび」をしている門番。 土器の販売。
中央の女性は流れ着いたヤシの実で作ったヤシ笛を
持っているので音楽にも興味があったようだ。
  墳墓エリアの様子
 
  墓泥棒か?  
ゾンビ(骸骨)が腕を伸ばしてきてビックリ仰天。
  甕棺に死者を入れて埋葬しているような様子も
見られる。
  ムンクの絵「叫び」にも似た人面石   先祖の霊を鎮めるための儀式の祭器
  博物館にあった魏志倭人伝のパネル。対馬国。

大海を初めて渡って、対馬国に到着。山が多いと
その特徴を書いてあります。住居1000戸。
  一支国。 
原の辻遺跡の周辺に広がる平野をもってしても食料が
足りない(人口が多い)ので交易をしていると書いてます。
住居3000戸。
  壱岐の古代遺跡   邪馬台国。
その都には、女王・卑弥呼がいることを書いてある。
住居、7万戸。
  昨年秋(2018年11月)、かつて邪馬台国ではないか?と騒がれた「吉野ヶ里遺跡」を訪れ、
いずれその先の古代遺跡地、壱岐対馬を訪れたいと思っていました。今回実現して感慨深いです。