■  出雲大社-2     2013.9.22
 本殿改修中は「仮本殿」となった拝殿の横を通って八足門へと向かいます。
  古代ご本殿の解説版
 
  古代のご本殿の模型(PhotoACさんのフリー写真)
 
 古事記に出てくる神話の中で、この地方を治めていた大国主神は国譲りに応じる条件として
「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れて
おりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。
明治3年までは、『杵築大社(きづきたいしゃ、きづきのおおやしろ)』と呼ばれていて、4年に出雲大社に改名。


  平安時代に源為憲によって作られた「口遊」で数え歌として『(雲太、和二、京三=出雲太郎、大和次郎、京三郎)』と
歌われ、16丈(48m)もの高さの建築物であったようです。
古代において建造可能であったのか疑問視されていましたが、3本組の巨大な柱の跡が発見され現実味が帯びて来た
ようです。
 3本組の巨大な柱の跡は、本殿前の八足門前の広場に丸いデザインで表示されています。

八足門が本殿の参拝場所になります。
参拝は、「2礼、4拍手、1礼」と一般の神社とは異なります。
 違うといえば、ご神体は正面を向いていなくて向かって左側、西側を向いているそうです。
夕日を眺めています。
  本殿の左右には、新暦11月(旧暦10月)に全国各地から訪れる神々の宿舎である西十九舎(左)、東十九舎(右)があります。
  八足門の所から覗いた本殿の内部。 左側が楼門。
  2013年に葺き替えが終わった本殿の屋根。