■ 芭蕉ゆかりの地 深川界隈-2 / 東京都
 芭蕉は江戸に出てきて、初め日本橋の繁華街に住んで俳諧の力量を
発揮し、「桃青」と言う俳号を名乗っていました。水道工事などにも携わ
りながら過ごし、34歳で談林派の俳諧宗匠(お師匠さん)としてプロの道
に入った。
 収入的には安定してきたが・・・
段々そんな自分に疑問を持ち始め、郊外の寂れた場所に移住し独自の
作風を構築しようと、当時深川で魚の養殖をしていた門人の魚の番小屋
の一つを提供して貰い住む事にした。
植物の芭蕉(バナナの一種)を植えた事から『芭蕉庵』と呼ばれ、芭蕉自
身も『芭蕉』と名乗るようになりました。
  ここで、滑稽さを売り物とする談林派から離れた芭蕉独自の作風を作り
上げ始めます。

 その後、武家屋敷などになってその所在が分からなくなりましたが、
地中から芭蕉の愛好した蛙の石像が発見され跡地と認定されました。
 この場所が狭いため、少し北側に「芭蕉記念館」を建立し資料展示を
行っています。
 芭蕉庵のあった「芭蕉稲荷神社」
 芭蕉稲荷神社の内部にある「古池や・・・」の句碑、「芭蕉庵跡」の石碑。
 そこから少し北側に行くと江東区芭蕉記念館があります。
常時資料の展示がありますが、訪問時は奥の細道旅立ち320年記念『漫画で辿る奥の細道と芭蕉』の企画展が開催
中で、風景漫画家・沖山潤さんの漫画による芭蕉の訪問先などの作品が展示されていました。
入り口の「草の戸も住みかはる代ぞひなの家」の句碑 その奥にあるのがコンクリート製の小さな芭蕉庵
 中に、芭蕉さんが座っています。
脇にある「古池や・・・」の句碑と、何故か人工の滝
  
「古池や かわず飛び込む 水の音」
今の私達に御馴染みのこの句が、何故有名なのか?
それは、芭蕉の俳句の原点みたいなものだからなのだそうです。

その当時の常識として
蛙(かわず)は鳴くもの。 「飛び込む」と現したのに先ずびっくり。

蛙の上の句は「山吹の花」。
それが、「古池や」と来たのでこれにもびっくり。
 
意表をつくこの句を示された門下生は皆吃驚してしまった!!のだそうです。

この句で芭蕉は、
古くから歴史を刻んできた「古池」、そして今生きている蛙が静寂を破る。
を、あらわしたのだそうです。