■ 太宰治ゆかりの地 三鷹 その2
 太宰治文学サロンのボランティアガイドさんのご案内で、ABJKと訪ねて歩きました。
最初はAの野川家跡です。太宰がすっかり惚れ込んだ山崎富栄(※)は、↑二階の左側に下宿していてここも仕事場
にしてしまいました。
 1948年(昭和23年)6月13日、二人はここから玉川上水に向かい赤い紐で結び合い入水自殺を図ります。

※二人が知り合ったのは、1947年(昭和22年)3月屋台のうどん屋。看護婦代わりとして体の弱い太宰の面倒を見たり
していたが、11月に別な愛人・太田静子に太宰の子供が生まれ、山崎は衝撃を受ける。
年が変わり二人の間にも「秋」が到来、捨てられる予感に嫉妬が激しくなったようです。更に太宰の結核再発などもあ
り最終的に二人で投身したようです。
  斜め向かいにある小料理屋・千草跡。
 「風の散歩道」・玉川上水。江戸の水不足を解消するために1653年につくられた。
太宰治が生活していた頃はかなり水量も多く、川底も深く事故での水死者も出ていたらしい。近年はヘドロの川に
なっていたが現在は整備され浄化された下水を流して「小川」の形になっている。両岸の雑木が茂り、川もよく見え
ないが心地よい緑の散策路になっています。
 投身した付近に生誕地・青森県金木の石 玉鹿石(ぎょっかせき=※)が設置されています。
その前辺りに、小さな堰が造られていて(当時はここに大きな堰があって水音が「故郷の滝の音に似ている」と言って
いたらしい)います。写真右上は、現在の玉川上水の小さな堰。
 
※玉鹿岩は青森県特産のいわゆる「にしき石」の一種で、藩政時代から多くの人々に親しまれてきた。磨いて置物に
などする。
  
ここまで、ボランティアガイドさんにご案内いただきました。
  
なお、毎月第4日曜日に三鷹駅南口デッキ上 9時50分に集合すると約2時間30分位案内いただけるようです。
その他、「太宰治文学サロン」でも土日祝日に希望者にはご案内いただけるようです。(2009.11現在)
 三鷹駅から三鷹通りを1kmほど南下すると八幡大神社が見え、次の門を回り込むと太宰治の墓がある禅林寺に到着
です。境内に入ると左手に墓地入り口があり、案内板も設置されています。8-5番が太宰修の墓です。
 太宰治の命日である6月19日は「桜桃忌」と名づけられ、多くのファンが参拝する。
現在は、どうかなぁと思いますが、お墓の彫った名前にさくらんぼをねじ込まれます。
  
昔は、近親者・関係人が「さくらんぼ」を摘まみながら太宰治の好きだったお酒を飲み交わしたりしていたらしい。
 
太宰治の斜め向かいには森鴎外の墓(森林太郎)が有ります。
 禅林寺の前の連雀通りを東に500mほど進み、南浦交差点を左折、むらさき橋通りを北進、いずみ通りで右折し
更に平和通りへ右折するとC「井心亭(せいしんてい)」があります。
この向かい辺りがL太宰治の旧宅跡(標識も何も無い=右上写真)。
 その生垣の電信柱の所に有るのが、居宅の玄関前に植えられていた百日紅(さるすべり)の木があります。
 
ここまでで、凡その「ゆかりの地」見学を終えましたので、帰りの電車の時間の関係で駅に戻りました。
滞在時間2時間では少し忙しいですね。
 
           
     ◆ 太宰治の故郷 金木 (斜陽館)