■会津若松市 古い町並み散策                 2008.2.11
 ◆大町通り<町方蔵しっく通り>から七日町通りへ  …この頁
 ◆七日町通り その2
 ◆七日町通り その3 鶴ヶ城
 ◆「白虎隊」ゆかりの飯盛山近辺
 ◆郷愁の蒸気機関車・SL会津冬紀行号と冬山遠景
 ◆大町通り<町方蔵しっく通り>から七日町通りへ
 会津若松市は福島県西部に位置し会津地方の中心地として栄えてきた。長く芦名氏の支配下にありましたが、
戦国時代末期には伊達政宗が入り、その後、豊臣秀吉の命により蒲生氏郷がこの地を治めることとなる。
城、城下町、産業の基礎はこの時に形作られ、名前も旧地名・黒川から若松と改められた。
蒲生氏郷は、商人が税金を取られずに自由に商売できる豊臣秀吉の「楽市楽座」を更に発展させ「十楽」と言う
制度を敷き、酒、漆器、などの現在の会津の伝統産業と言われる産業振興策もとった。
  
 時代が下り、徳川三代将軍家光の異母兄弟、保科正之が会津松平藩を作り、その後松平家の支配は約200年
間続く。江戸時代に街道が整備されると保科氏は阿賀野川と陸路を用いて日本海から塩を運んだ。この「塩の道」
を利用して新潟から北海道産のニシンを始め様々な海産物・物産が入ってきた。
 
 尚、会津藩は1868年に戊辰戦争で薩摩・長州の西軍に破れ、この時の「白虎隊」の物語は有名です。
   
 スポット的に観光施設・行事を見る為に何度か会津
若松市を訪れてはいましたが、町並みは見ていなかっ
たことから冬の一日、町の中を散策しました。
<2008.2.11>

『アカベコ』
 東北地方では「牛」のことを「ベコ」と言います。
807年頃、柳津虚空蔵尊(やないづこくぞうそん)「圓蔵寺」を
建立する際、難工事でしたが、どこからともなく赤い牛が現
れ、工事を助け、無事完成したと言われています。
 
以来、「幸せを運ぶ牛」「子どもの守り神」として多くの人に
『アカベコ』として愛されてます。
 これも蒲生氏郷が地場産業として推奨したと言われてい
ます。
 市内を一巡するには、循環バス「ハイカラさん」が便利です。
古い建物が残る七日町の商店街へは会津若松駅から徒歩で向かって見ました。
近代的な建物の中に時代を感じさせる建物が点在しています。
  この建物から突き出た一階部分の屋根は時代的には後で設置されたようですが、店の前の空間を活かすと共に
冬場雪が多いことから雪を避ける機能を果たしている様に見えます。
 
 
 
 ◆七日町通り
 七日町通りは、新潟を経由してくる海産物の集積地として、明治から昭和まで会津一の繁華街として賑わった。
 七日町の町並みに入ると、こちらも連続はしていませんが古い建物・店蔵・洋館等かなり密度が高く存在して
おり、見ごたえが有ります。
 町中には戊辰戦争で焼けずに残った江戸時代から明治・大正・昭和初期までに建てられた蔵や洋館がそこかしこ
にありその多さにビックリします。
   清水屋旅館跡
   蒲生氏郷にちなむ名前がついた黒漆喰の建物