武家屋敷から西側に10分ほど歩いたところに、漬物の『タクアン』で知られる沢庵和尚が仮住まいした春雨庵跡
が有ります。
澤庵 宗彭(たくあん そうほう、1573年12月24日 - 1646年1月27日)は、江戸時代の臨済宗の名僧。大徳寺住持
であった。1629年、幕府は、沢庵ら幕府に反抗した高僧を出羽国や陸奥国への流罪とした。
これを紫衣事件と言う。
紫衣とは、紫色の法衣や袈裟(けさ)をいい、古くから宗派を問わず高徳の僧・尼が朝廷から賜ったもので朝廷に
とっては収入源の一つでもあった。江戸幕府になると、幕府の承認なしにこれを行うことを禁じた。
1627年、幕府は、後水尾天皇が幕府に諮ることなく行ったとしてこれを無効としたがこれに沢庵らが抵抗したもの。
当時の上山藩主の土岐頼行は、流されてきた名僧沢庵の権力を恐れない生き方と、「心さえ潔白であれば身の
苦しみなど何ともない」とする事に心打たれ、歌人でもあった沢庵に草庵を寄進した。
沢庵はここを春雨庵と名づけこよなく愛したといわれている。 |