■ 羽州街道 楢下宿[山形県上山市] その2
楢下宿の入り口に当る番所跡に立つ郵便局   脇本陣・佐藤家。今もお住まいとして使っています[非公開]
案内図。前のページでは図の左上の二屋敷を見てきました。 図の『ロの字』の上の直線部分は明治に開発されたもので、元々の楢下宿は、
鉤型の『コの字』型になっていました。 この頁では、図の左側のT字路から下に進み新町めがね橋を渡り『庄内屋』『大黒屋』を見て行きます。

 
 この一帯は、図の上部の直線道路が開通してからは外れた存在となり、閑静な町並みとして最近まで古民家が残されていたとの事。
資料館・滝沢屋に、最近まで茅葺の家々が立ち並んでいる写真が展示されています。資料館で館内案内していただいた女性も、『私もこんな
家に、平成になってからまでも住んでいました。ついこの間のことです』と仰っていました。
  そんな町並みです。
新町めがね橋の袂から、下町の通りを見ています。 こちらは、図の右側の下町めがね橋
橋を渡ると、『庄内屋』が有ります。準本陣級の格式を持つ脇本陣ですが、庄内藩主の常宿とされていた。道路に突き出た曲り屋形式[左側]
がもとの玄関。 この宿場に残された建物としては最も古い時期のもので、18世紀中期頃に建造されたと推測されている。
 『かって』と呼ばれる座敷部分  殿様も宿泊したであろう上中間に続く上段の間
 もと、本陣があったであろう場所。案内図の下の道路、右下部分。
右上の写真・大黒屋、前頁の資料館 滝沢屋がこの並びに有った。
元は、道路の反対側にあった『大黒屋』。 図の現在地表示のところ。
道路に面して、上段の間、中間と有る。  『かって』と呼ばれる囲炉裏端のある部屋

  今回、初めて『楢下宿』を訪問しました。宮城県側七ヶ宿とか山形県上山市辺りは通っていますが、その間にあった当地・楢下宿の存在すら
分りませんでした。 
時々、『その先』まで足を伸ばすと新しい発見があるかもしれません。 この後、上山市街地までの途中で山形の新蕎麦を
堪能し、帰路に着きました。
 
 福島県の『大内宿』の様にすっかり観光地化している宿場とは異なり、多分観光バスも来ないみちのくの古い佇まいで、しばし古に夢を馳せま
した。 この時間帯は、ご夫婦一組が見学していました。  つまり、二組だけです。勿体無い気がしますが、このままで… とも思います。
 
資料館(大人 200円)以外は、無料で開放されています。見学した資料館以外の三つの建物は管理人も居ないのどかなところです。
駐車場は、(資料館前は当然として)武田家と大黒屋の脇に有ります。