■宮城県角田市 その2 角田市郷土資料館

 角田市の中心部、本町通りに『角田市郷土資料館・旧氏家邸』が有ります。

 この建物は、明治初年から大正年間にかけて当地の大地主初代・二代目氏家丈吉氏が建築した邸宅を、昭和60年
角田市が譲り受け整備して郷土資料館として公開しています。
 初代・氏家丈吉氏は1839年生まれで、本家から分家。 当時盛んだった養蚕の蚕の種子・繭販売などで財をなした
と言われており、初代・二代目で土地を取得し大地主となった。建物は、二人の代に築かれたもの。
 
その規模は、間口約20間、奥行40間、3100uの敷地で、店蔵、母屋、蔵など7棟(大正期には18棟)が有ります。
   
 表門は明治15年に角田城の門を移築したと伝えられる。 店蔵は、実際には一度も店蔵として使われた事は
無いそうですが明治初年の建築で内部は総漆塗りです。
 
 箱階段と、床には空気取り組み口 二階の梁など
 店蔵の次には板敷きの台所が有り、玄関の間・中の間・上段の間と続き、更に大正10年に増築された新座敷、
そして奥座敷と続く。 庭園の傍らには文庫蔵が置かれている。
  
 新座敷は最も手が込んだ造りで2階建て、北側に夏座敷もある。障子の桟、欄間のデザインも洒落ている。
  
 贅を尽くした造りは、トイレ、浴室にも良く現れています。 この時代にステンドグラスと大理石の浴室は凄い
ですね。
脇には前蔵と、米蔵が並んでいます↑↓
米蔵は改装され資料展示室となっています。 
当地方では珍しい土蔵造りの明神様
  
 訪問したこの日(2006.7.9)、この旧・氏家邸をこよなく愛する女性館員の方に詳しく説明していただきました。
 
元々この邸宅は、角田市が駐車場として購入したもので一部を奥の場所に移築展示して大部分の建物は取り壊される運命に有ったそうです。
それに対して、識者などが建物保存運動を展開した結果、現在の姿で資料館として保存される事になったそうで『こんな立派な建物を壊すなん
て勿体無いでしょう』と言う彼女の言葉に全く同感。『この通りには、結構店蔵などが残っていたのですよ。昭和40年頃の高度成長の時代に皆さ
ん新しい建物に建て替えてしまったんです。新しい建物は20年も経たない内に汚くなってしまって…』 とても惜しそうに話されていました。

 彼女がここに着任して以来、『建物内部の木部を全部綺麗に拭いたんです。拭いたばかりの時は白っぱしくなったけど、良い材料を使っている
ですね。 時間がたつと光沢が戻ってくるのですよ』と、熱く語る通り内部は綺麗に磨き上げられていました。
4段上写真の新座敷障子の桟は、筆で掃除をしているそうです。前に清掃業者に頼んだら、バタバタとハタキで叩いたので桟の一部が破損して
しまったそうで『他人に任せられない!』そんな感じでした。

 そんな彼女の話を思い出しながら、この写真を見ていると何か建物が活き活きして見えてくるから不思議なものです。