■ 津軽鉄道で行く太宰治の故郷・金木 その2
 金木駅に降り立ち斜陽館と、地獄絵を見たという雲祥寺、トレインアテンダントさんに教えてもらった平成19年から
公開されたと言う「疎開の家」を見て歩きます。
  
 金木を小説「津軽」で「これという特徴もないが、どこやら都会風にちょっと気取った町である」と紹介している。
   
左上から、津軽鉄道金木駅  駅前の案内板( アップ写真は こちら )  斜陽館
 斜陽館。太宰治の生家。明治40年に落成した。階下11室、二階8室、日本三大美林のヒバを使った豪邸。
戦後、津島家が手放し、昭和25年から旅館「斜陽館」として営業、観光名所となり全国からファンを集めた。
その後、平成8年に金木町が買取した。
  
JR東日本の大人の休日倶楽部のCMで吉永小百合が出ています(2009.7.26現在)。
 その内部
 二階の廊下
 小説『思ひ出』に出てくる、子守タケと一緒に遊びに来た曹洞宗・雲祥寺。
太宰治が見たという「地獄絵」も本堂のガラス越しに左の壁面に掲げてあるのを見ることが出来ます。
時間の関係で今回はパスしましたが、ご住職にお願いすれば本堂に入れると思います。
(後生車のモニュメント、後生車) (本堂の地獄絵図) 3枚2010.10.16再訪問により追加
 「その輪をからから廻して、やがて、そのまま 止つてじつと動かないならその廻した人は極楽へ行き、一旦とまり
さうになつてから、 又からんと逆に廻れば地獄へ落ちる」と、たけは言つた 。    …太宰治「思ひ出」
 津軽三味線会館。  太宰治が疎開してきて生活した『疎開の家』
 元々は、生家(斜陽館)の図書蔵の脇に「新座敷」として建てられた。戦後、地主制度が崩壊した際に母屋を手放し
この新座敷を移築して津島家の住居となり、現在は「ギフトショップしらかわ」さんの所有になり平成19年から公開し
ています。
 終戦直前の昭和20年7月から、翌年11月までの1年4ヶ月生活しました。
太宰治はここで22作品を執筆した。  玄関を入って直ぐの部屋↑が作業部屋。 右上は、生活した居間・4畳間。
 同じく8畳間。  真ん中の写真は洋室。右上は、『故郷』の中で太宰が床に伏した母と会った10畳間と作業部屋。
           
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