山陰鉄道発祥の地碑
<碑文> 山陰鉄道発祥之地 米子
「陰陽線なる境鉄道の開通式を伯耆米子町に挙行し,試運転を行へり。来会者一千余名(中略)同地は一帯に国旗,
球灯をかかげ, 歓喜の様, 非常なり(後略)」明治35年(1902)11月1日, 境 - 米子 - 御来屋間35kmの開通式の模様を
当時の新聞はこのように伝えている。
山陰で鉄道が敷かれたのは境線が最も古く, やがて山陰本線, 伯耆線が開通した。鉄道の開通によってそれまで
盛んであった米子の海運は衰えたが, 経済・社会の近代化は大きく促進された。
米子市は昭和2年(1927)4月の市制施行後も交通の要地という地の利を得て山陰の中核産業都市として発展し,
今日に至っている。
山陰鉄道建設, 発展に尽くされた先人の功績をたたえると共に, 21世紀におけるさらなる発展を願って, ここに記念碑
を建立する
平成9年7月吉日 |