■百舌鳥古墳群(仁徳天皇陵ほか)散策 2019.9.22 
   
   
仁徳天皇陵古墳  履中天皇陵古墳 
  
 セスナ機からの展望・百舌鳥古墳群、内堀の中に浮かんでいる「教科書で見た仁徳天皇古墳」

 以前、堺市市役所展望階から見たことが有りましたが、小山が見えただけだったのでがっかりしたものです。
今回、セスナ機で上空から展望出来ましたので満足でした。
 
 尚、ここには写っていませんが仁徳天皇陵古墳の左前方に反正天皇陵古墳があり、この3古墳は大阪湾に
併行する位置にあり、奈良を訪れる中国などの海外の使節に「倭国」の威光を見せつける役割もあったよう。
  以下は地上での散策記録です。   仁徳天皇陵古墳」の復元遺跡です。
近くにある小さな古墳は「陪塚(ばいちょう)と言って
近親者、配下などの古墳です。
 ◆参考: 穂渡田古墳群「八幡塚古墳」 2016.6.15
 
 古墳の構造や、古墳の縁には埴輪を配してあったとの事で、栃木県高崎市の「八幡塚古墳」を2016年に
訪問したことが有りましたので、仁徳天皇陵古墳の建立当時の姿を想像してください。
 
  前方後円墳と葺石と埴輪の配置  円墓の中
 
   内堀の内部に配された「埴輪群」。 埋葬者の権威を象徴していたと言われる。
   
 ◆ 仁徳天皇陵古墳
 世界三大墳墓、エジプトのピラミッド、中国の始皇帝陵を超す世界最大の墳墓「仁徳天皇陵古墳」。
宮内庁の管轄なので中には入れません。
  外堀の西側、右写真は東側。  「前方」の巾は約307m。「後円」と含め全長約486m。
  お堀にいたアオサギ   東側に向けて歩道を進みます。
 ◆ 収塚古墳
  収塚古墳。 陪塚(ばいちょう)の一つ。  
 下草を刈っていますので形が見えます。  
 ◆御廟山古墳
  仁徳天皇陵古墳の南西側にある御廟山古墳。墳丘長は約203mで百舌鳥古墳群では4番目の大きさ。
  宮内庁の百舌鳥陵墓参考地となっている。
古墳の堀の水は、古くから農地の貯水池として利用されてきていて江戸時代に墳丘部が削られた。
 ◆いたすけ古墳
 いたすけ古墳は、以前私有地だったことも有り、土砂の採掘と、宅地造成されて売り出されそうになったが
市民活動により保存された。 全長146mで百舌鳥古墳群8番目の大きさ。
  内濠には宅地造成のための橋が架けられ、樹木の一部が伐採され一番上の写真でもわかる様に
航空写真では「まだら」に見える。
 ◆ニサンザイ古墳
 変わった名前だが、「みささぎ(御陵)⇒ミサンザイ」から訛ったと言われる。
 宮内庁が、反正天皇の空墓(一時的に埋葬された跡)と指定しており陵墓は宮内庁管轄。全長290m。