|
広隆寺 |
|
603年、聖徳太子がこの地に来て秦河勝に「弥勒菩薩半跏像」を賜り創建された京都最古の寺。
聖徳太子の好きなところはあの当時の社会情勢にあってかの中国(隋)に「日いづる処の天子、日没する処の天子に
書をいたす…」と始まる国書を遣隋使にもたせ対等の立場での国交を開いたのことである。
小気味の良いことでは有りませんか。
写真は本堂「上宮王院太子殿」。1730年建立で本尊に聖徳太子像を安置してあります。 |
|
|
本堂の脇の建物 |
本堂の正面。『以和為貴』の額字も見える。 |
|
|
桂宮院本堂。4.5.10.11月の日曜・祝日に公開。中に八角堂が有りますが、残念ながら門前には撮影禁止の貼紙が。
聖徳太子が夢で五百羅漢が経を読んでいるのを見た霊地であるここに仮宮殿を造られたのが起源とされている。 |
|
|
講堂、俗に赤堂と呼ばれる。 |
山門の仁王さんに別れを告げここを後にした。 |
|
壬生寺…新撰組のゆかりの寺 |
|
|
|
広隆寺前の太秦駅から電車に乗り四条大宮に出て、新撰組ゆかりの壬生寺を訪ねる。
駅前に「新撰組ゆかりの地」を訪ねる簡単な案内図はあったが、駅から南にコースをとり実際に歩いてみると途中に
案内板も無く道に迷ってしまった。一本余計に南下してしまったようである。再度戻って、歩きなおしてやっと到着。
実は駅の北側、四条通の太い通りに出て西に向かうと人の流れが有って分りやすかったのである。
写真左は本堂。この右手の壬生塚に、芹沢鴨ら新撰組隊士の墓や(右)近藤勇胸像があります。 |
|
|