■ 大徳寺(臨済宗大徳寺派総本山)・芳春院                『京の冬の旅』非公開文化財特別公開2005.12-2006.3
 大徳寺は1315年創建。一時は京都五山に列せられたが室町時代に庇護を受けられず五山から離脱。 「一休さん」の尽力により復興、以後豊臣
秀吉、千利休などの茶人の帰依により伽藍や塔頭が建立され寺勢をふるうようになった。
 芳春院は、1608年加賀百万石・前田利家の正室『まつ』が創建した前田家の菩提寺。
 東側、総門から境内に入ると三門『金毛閣』が有ります。この門は、千利休が寄進したものであるが二階の部分に自分の木像を安置した。
これを知らずに豊臣秀吉が三門を通り、後にこの事実を知ると『千利休の股下を通らさせれた』と激怒、千利休は切腹させられたという。
大徳寺の伽藍の脇を奥に進むと最北端に芳春院の山門に出ます。
芳春院の名前の通り、春の香りがそこかしこに。   トサミズキ。
 紅梅 庫裏の前の梅
芳春院。まつの木像などが祀られています  お茶ゆかりのお寺らしく裏手には茶室が4つあるとか
 前庭の枯山水「花岸庭」。山渓より流れ出る水が湖に注ぎ、大海に帰する山水の様を表わしている。
 裏手には、楼閣山水庭園があります。奥の建物が「呑湖閣」で金閣、銀閣、飛雲閣と並び京の四閣と称される。