■ 京都祇園祭 平成23(2011)年 山鉾巡行 | |
そもそも、その昔疫病が流行ったり天変地異が起こったりするのは怨霊の仕業だと思われていた。 祇園祭は怨霊を鎮めるお祭りでした 貞観地震・貞観大津波869(貞観11年)5月26日に陸奥国で起きた大地震の10日後の6月7日全国の国数に 準じて鉾66本を神泉苑に立て、人々の安寧、疫病退散を祈願した祇園御霊会を修したのが祇園祭の始まりと 言われています。 そして、約1200年後に起こった東日本大震災(2011.3.11)のあった年、二度目になる祇園祭観光になりました。 御池通の有料観覧席は確保しましたが、先ず、各町内から出発する「山」を見学するため町屋の建物が多い 室町通へと向かいます。 |
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ツアーの宿泊地が滋賀県長浜市でしたので早めに出発したものの9時50分が過ぎていました。 もう少し早めに来ると準備作業から見られたのですが、殆どの「山」が出発を始めたか出発直前でした。 それでも、山鉾巡行コースで「おすまし」した山鉾を見学するのとは違う顔を見せてくれます。 |
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<黒主山> | 何やら見事な鯉の織物が・・・ |
もう一つ、改めて見ておきたいと思ったのが、この「鯉山」でした。 山を飾る前懸、胴懸(2枚)、水引(2枚)、見送は16世紀にベルギー・ブラッセルで制作された1枚の毛綴を裁断して 用いているもので重要文化財に指定されています。 そして、仙台藩主・伊達政宗が派遣した遣欧使節団の支倉常長がローマ法王から授かったものでは無いかと 言われています。 このHPの発信地が仙台ですのでこんなところで繋がっているのかと思うと嬉しくなります。 |
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図柄は、ホーマー作「イーリアス」物語の一場面でトロイのプリアモス王と后ヘカベーを描いたものといわれます。 山の上には、左甚五郎作といわれる大きな鯉が跳躍しています。 |
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浄妙山 | |
橋弁慶山。 弁慶と橋の欄干に片足で立つ牛若丸。 | |
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