■ 伊勢神宮(内宮)・三重県      小さな旅
 伊勢神宮は、なぜ伊勢にあるのか?
当時の都は奈良、それが何故? 素朴な疑問である。
  
 確かに、日本書紀の垂仁天皇の項に、アマテラスオオミカミ(天照大神)
斎王(今風なら神主)のヤマトヒメノミコトに『伊勢国は、しきりに浪の押
しよせる、都の中心からは離れているが美しい国である。私は、この国に
居りたい。』と言ったので現在の伊勢市に定めたと記載されている。
 
 でも、日本書紀にしろ古事記にしろ、人民が知らないことは美化して書き
周知の事項は、後から「理屈を付けて正当化」する手法が取られている。
 どうも、紀元前の生まれの垂仁天皇の時に定めたと言うのは怪しい。
こんな事を素人が書き始めると、詳しい方々に叱られそうだから止めます
が、いずれにしろ都の東の日の昇る地で川の舟運、伊勢湾の海運など昔
からの要衝であり、”征服される前”の地元の人々が昔から「太陽神」を奉
っていたこの地が選定されたのでしょう。
 その時代は、7世紀の天武天皇、持統天皇の頃と思われます。

 
 だけど、やはり天皇家のご先祖様である天照大神が、なぜ?と言うこと
は解決せず、疑問のままなのですね。
何方かが、いつか解明していただくのを期待しています。
こんな屁理屈を書いてますが、名古屋からワイドビュー南紀&近鉄に乗って分った事は、川は渡るけど山のトンネルが無い(2-3個小さいのは有る)
。平野がずっと続くのである。 これなら稲作も発展したでしょうし、伊勢湾の海の幸にも恵まれ、『うまし国』と言うのも分りました。 2007.7.16
そして、昔の人々がお伊勢参りをした時も峠越え等の心配も無く助かったでしょう。
 五十鈴川に架かる宇治橋を渡るとそこは神域。玉石敷きの神苑を進んでいくと火防橋(ひよけばし)と、一の鳥居に
でます。右手に手水舎が有ります。五十鈴川が増水の為、ここでお清め下さいとの表示が有りました。
 五十鈴川御手洗場(みたらし)↑。本来はここで清めるようです。 更に進むと、二の鳥居です。
 神楽殿を見ながら更に進むと、御贄調舎(みにえちょうしゃ=アワビを調理する儀式が行われる)に出ます。
この左手に拝殿が有ります。
 石段を登り、鳥居のところでお参りします。一般人はここまでで終わりです。
 隣の、20年毎に社殿が建て替えられる方から見た『御正宮』。四重の垣根に囲まれ、唯一神明造(ゆいいつしんめい
づくり)の古代形式で、屋根には10本の鰹木(かつおぎ)が載せられ、屋根の端の千木(ちぎ)の先端は水平に切られ
ています。
 お参りは、急いで回ってもたっぷり30分も掛かります。お参りを終えて鳥居の前に出来た鳥居前町・おはらい町に
入ると、ここも人・人・人の洪水です。 おはらい町は約1km位続きます。又、真ん中辺りに、食事や遊びのゾーンの
おかげ横丁が有ります。 写真の右上は、おかげ座。

 おはらい町で、名物の「赤福」と「うどん」を食べようと思ったのですが…
辛うじて、赤福本店で赤福は食べましたが、人込と道路の渋滞も気になりだして(この日は仙台まで帰る必要が有る)
早めにタクシーで近鉄・五十鈴川駅に戻りました。駅前にも名物を食べさせる所が有るだろうと思ったけど有りません。
 で、駅の脇にあるお茶とケーキのお洒落なお店「Oranger B*Cafe」さんで五十鈴川駅舎と神宮の森のある方向
を眺めながらランチのカレーを頂きました。