■『美濃和紙とうだつの町』美濃市 | |
美濃和紙の起源は、今から1,300年前に遡ると言われています。 長良川の清流と紙の原料「こうぞ」に恵まれ、良質な和紙が作られ正倉院に残る戸籍にも美濃和紙が使われている ことからも証明される。 現在の美濃市の中心地は、明治以前は上有知(こうずち)と称しており、江戸時代に美濃和紙の集積地として、 紙問屋商人が活躍する町として繁栄が始まり、1723年の大火をきっかけとして道幅を4間に広げ、隣接する家との境 に防火壁として土蔵造りの厚い壁を設けた。これが美濃市の『うだつ』の始まりで、現在の町並の原型となる。 その後、原料を各地から仕入れる原料問屋も活躍し、『うだつ』はいつか商売繁盛・出世を意味する象徴になり、装飾 も兼ねた華やかなうだつ飾りを上げた重厚な町家の続く町並が形成されていった。 町並は、長良川鉄道・美濃市駅から徒歩15分ほどの所に『漢字の目』の字型の通りになっている。 ( Map ) |
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2007.7.14台風14号が北上しつつある日、長良川鉄道を北上し美濃市を訪問しました。 郡上八幡へ向かう途中なのでほんの1時間ほどの滞在、時間節約の為に駅から川湊までタクシーで向かい、写真撮影後今井家辺りまで戻って もらい『うだつの町並』を散策しながら駅に戻りました。 |
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金森長近が城下の長良川に築いた上有知(こうずち)の湊は、美濃和紙と原材料仕入れの舟運で栄えた。 | |
美濃市の見所は何と言っても「うだつ」。 写真左上は「時代軒菓舗・須田家」の江戸末期のうだつ。 何故か浮世絵に出てくる女性の髪飾り&顔に見えてくるのは親父の助平根性か? 中央は鈴木家、 右上は「松久栄助紙店事務所」の江戸時代後期の古い形式の「四部形式」=鳥衾(とりぶくろ:一番上の突き出た もの)・鬼瓦・破風(はふ:山形=ハの字)・懸魚(げぎょ)=中央から下がっている逆スペード型の飾り)を保つうだつ。 |
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今井家(左側)の有る通りの景観。右手に梅村家、森井家、西尾家、鈴木家などが軒を並べていて見事。 | |
双子のうだつ。 これぞ『うだツー』(オヤジギャグ) 常磐町の平田邸と古川邸。うだつが二つ並んでいる印象的な景観。 |
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紙問屋・庄屋だった今井家 | |
なまこ壁の蔵・武藤家(?) | 岡家 |
優雅な曲線を画く『むくり』と呼ばれる屋根が特徴の 造り酒屋・小坂家 |
こちらは最近の建物のようですが、瓦が「一文字瓦」 (底辺が直線)なので一枚。 |
写真左上は、馬つなぎ。 長良川鉄道・美濃市駅前に「旧・名鉄美濃駅(国登録有形文化財)が有り、近代の馬= 電車が係留(?)されています。 |
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