■古い町並み散策/横浜関内地区を中心に
    
波止場とか停車場と言う言葉には哀愁を帯びたイメージがあります。
『古い町並み散策/横浜』は、そんな切り口からスタートです。
   
■港町横浜 『赤い靴はいてた女の子像』 …この頁           Map
鉄道発祥の地 横浜駅(現・桜木町駅)記念碑と新橋駅
歴史的建造物の夜景
      
■ 赤い靴はいてた女の子像 横浜市山下公園
 横浜といえば山下公園。この公園の西側で海を見つめる少女がいる。
 
 童謡でも、小さな子供の時に聴いてこの年になっても歌いたくない歌がある。
『赤い靴』はそんなひとつ。歌詞の中の『異人さんにつれらて行っちゃった♪』の部分が”さらわれた(拉致された)”
とのイメージが頭にこびりついているからである。
  
 赤い靴はいてた女の子像。本名「きみ」ちゃんである。(注1)
今から100年ほど前の1902年私生児として生まれ、翌年母親と函館に渡る。2歳の時に母親は再婚し、開拓ために
入植するが、病弱な「きみ」は入植には耐えられないと判断、米国人宣教師の養女となる。「きみ」6歳の時、その
宣教師に帰国命令が出て、結核に侵されていた「きみ」は東京麻布十番の鳥居協会の孤児院に預けられる。
3年間の闘病生活の後、きみちゃんは9歳で天国に召される。

    赤い靴はいてた女の子 異人さんにつれられて行っちゃった
       今では青い目になっちゃって 異人さんのお国にいるのだろう    
…(著作権消滅により記載)

 きみちゃんが亡くなって10年後、母親が再婚した鈴木某の知人、野口雨情によって『赤い靴』が作詞されるが、母
親も野口もこの事実を知らず、「きみちゃん」はアメリカに渡ったと思っていた。
  
 時は下り、1973年父親違いの妹岡そのが北海道新聞社に『姉の赤い靴の女の子』のその後の消息を調べて欲しい
と投稿、北海道テレビの記者・菊地寛が、5年に亘り女の子の実像を調べ追跡結果を1979年に出版して事実が公表
されることになります。
 
(注1) 山下公園の「赤い靴はいてた女の子」像は、童謡「赤い靴」をイメージして建立された様です。

上記の「きみちゃん」説には、いきさつを研究された方が居り、再婚した夫が直ぐに孤児院に預け、妻には宣教師の所に
養子に出したと妻を安心させるために嘘をつき、また、雨情は「きみ」を意識していないとの異説もあるようです。
 
横浜の像は、純粋に童謡の赤い靴から。
麻布十番、函館などその他の土地にある赤い靴像は「きみちゃん」をイメージして建立されているようです。
 海を渡ることの無かった女の子は、今、海を見つめています。
 『赤い靴はいてた女の子像』は、1979年に『赤い靴を
愛する市民の会』の皆さんの手によって建立されました。
 
 又、市内循環バスの名称も『あかいくつ』。
 
赤い靴は、いまもこうして
横浜市民に愛され続けているようです。