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聖武天皇は仏教の力によって国家を鎮護するという「鎮護国家」の思想に基づいて、
天平13年(741年)に全国に国分寺と国分尼寺を建立する詔を、天平15年(743年)には盧舎那仏(るしゃなぶつ)建立の詔を発します。
大仏を鋳造する当時の日本では金が採掘されず聖武天皇は大仏に使用する金は輸入しようと考えていました。
しかし、大仏の鋳造が終わる段階段階になっても金の調達ができずにいたようです。
そこに、宇佐の八幡神が訪れ『天の神、地の神を率いて、わが身をなげうって協力し、東大寺の建立を必ず成功させる』と
申し出がありました。
聖武天皇にとって、これほど心強いことはありません。大仏に塗(ぬ)る金が不足すると金は必ず国内より出るという託宣を出し、
やがて陸奥国から金が献上される事になります。
749年の2月にある一報が届きました。小田郡(現在の宮城県涌谷町)で金が見つかったことが聖武天皇に知らされ、
それを機に国家権力で金の採掘が進められました。こうして塗装に使う金を調達することができたのです。
これを機会に、おめでたいと言うことで、年号を天平勝宝から天平宝字に改元したといわれています。
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