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■白石宿 [奥州街道 宮城県白石市] | |
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本題から外れますが、白石名産の『温麺』です。 何と読むと思いますか? 『おんめん』では無く『うーめん』と読みます。お馴染みのソーメンの半分ぐらいの長さで油を使わずに製造する ことから消化に良くてお腹に優しい食べ物です。うどんと同じような調理をしますが余りにも家庭的な食べ物でしたので、一昔前はお店で 食べる事は出来なかったのですが、現在はJR東北本線白石駅前、白石城址の脇の店、↑城北町・市営駐車場前の『商人資料館・やま ぶき亭』などで食べる事が出来ます。 |
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白石宿は、銀行や商店街が有る本町-中町-長町、国道113号線に入り亘理町-短ヶ町-新町(現在の城北町)に有ったそうです。 MAP 上の写真は、商店街の景観。 蔵は余りありません。 |
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左上は、国道113号線亘理町の蔵、 右上は、短ヶ町(現城北町)の白石市水道局の建物。 | |
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同じく国道113号線沿線の店蔵。なまこ壁が綺麗です。 | |
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一つ上の写真の建物から南にある人形の家 | 東小路の酒造会社 |
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白石城。1600年、伊達政宗は白石城の上杉氏を攻め落とし以後、片倉家が南の要衝として明治維新まで守りました。特筆すべきは、 幕府が一国一城の方針を取った中で、伊達藩の2つ目の「城」として伊達藩本体と片倉家で共有していた事です。 余談になりますが、戊辰戦争以降、家屋敷・生活の糧を失った旧白石家中は、『侍として北海道に渡るか』、以後『農民としての人生を 送るか』の二者択一を迫られ、多くの人々が北海道開拓に出ました。大変な苦労をしたようですが、現在の札幌市『白石区』として名前が 残っています。 |
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城の北側に沢端川が流れ、散策路として整備されています。 立派な門構えのお宅などが有り情緒を醸し出しています。 | |
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沢端川沿いを西に進み西益岡町に入ると、武家屋敷に出ます。 MAP ここは、片倉家の中流武士・小関家が居住した屋敷で白石市に寄贈されたものです。 |
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入ると台所と呼ばれる土間があり、中は『広間型三間取(さんまどり)』と言われる造りになっています。全体としてはかなり質素な造りと なっています。 |
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