■ 奥州市 江刺区 その1 / 古い町並み散策 | |
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江刺は古来より交通の要所として栄え、平泉藤原氏の祖・藤原清衡の父親である経清が豊田城を築城。 江戸時代には、仙台・伊達藩の北方要害として重要な位置を占めました。 明治以降、鉄道(JR東北本線)から外れたために経済的には衰退してしまったものの多くの蔵が残され、落ち着い た町並みが続いています。 市民の有志が「株式会社黒船」を設立し硝子工房を運営、行政も町並み整備に努めるなど『まちづくり』にも積極的 です。 ↑ 市街地の北東部にある岩谷堂城跡(御館山)の公園と、本丸跡・藤原氏の2人を顕彰する二清院。アジサイ が一面に植栽されていてとても綺麗でした。 |
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少し離れた南側に移築再建された「加藤家住宅」がある。南部曲屋とは違う当地独特の長方形の建物。 | |
明治記念館。明治初期、水沢県当時に現在の宮城県登米の分院・旧岩谷堂共立病院として明治7年に完成。 | |
病院としての利用期間は短かったようですが、明治後期から昭和36年まで役場・市役所として使われた。 鐘の鳴る丘(かねのなるおか)は昭和22年(1947年)7月から昭和25年(1950年)12月までNHKラジオで放送され たラジオドラマ。 信州を舞台にした戦災孤児の物語であるが、作者・主題歌の作者である菊田一夫は戦時中家族を岩谷堂町に 疎開させており、そのとき見た岩谷堂役場からドラマの舞台設定を着想したと言われている。 緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の 時計台 鐘が鳴ります キンコンカン♪ 懐かしい歌を思い出しました。 |
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市内中心部、中町。蔵まち通りと名付けられているようです。 | |
町並みは「白と黒」の基調で統一されているようです。 派手な看板も無いので、一見してはどんな商売をされているか分かりません。 |
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歩行者専用通路『蔵町モール』入り口にある合資会社依田養商店の土蔵。 明治17年に、建材・肥料・塩・石油等を手広く扱う問屋として設立されたようです。 |
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