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童謡「赤い靴」のモデルとされる赤い靴はいてた女の子像。
2009年、母と別れた地といわれる函館に設置された。像の作者は函館出身の彫刻家・小寺真知子さん。
本名「きみ」ちゃんである。
今から120年ほど前の1902年私生児として生まれ、翌年母親と函館に渡る。2歳の時に母親は再婚し、開拓ために入植するが、
病弱な「きみ」は入植には耐えられないと判断、米国人宣教師の養女となる。
「きみ」6歳の時、その宣教師に帰国命令が出て、結核に侵されていた「きみ」は東京麻布十番の鳥居協会の孤児院に預けられる。
3年間の闘病生活の後、きみちゃんは9歳で天国に召される。
赤い靴はいてた女の子 異人さんにつれられて行っちゃった
今では青い目になっちゃって 異人さんのお国にいるのだろう …(著作権消滅により記載)
きみちゃんが亡くなって10年後、母親が再婚した鈴木某の知人、野口雨情によって『赤い靴』が作詞されるが、
母親も野口もこの事実を知らず、「きみちゃん」はアメリカに渡ったと思っていた。
時は下り、1973年父親違いの妹岡そのが北海道新聞社に『姉の赤い靴の女の子』のその後の消息を調べて欲しいと投稿、
北海道テレビの記者・菊地寛が、5年に亘り女の子の実像を調べ追跡結果を1979年に出版して事実が公表されることになります。
きみちゃんの亡くなった孤児院、それは明治10年から大正12年まで麻布永坂にあった鳥居坂教会の孤児院でした。
今、十番稲荷神社のあるところ、旧永坂町50番地にあったこの孤児院は女子の孤児を収容する孤児院でした。
と投稿、北海道テレビの記者・菊地寛が、5年に亘り女の子の実像を調べ追跡結果を1979年に出版して事実が公表されることになります。
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