博物館 網走監獄
 ガイドの話などを思い出しながら綴りますと、北海道の幹線道路の開発に大きな役割を果たしたのが囚人達でした。
網走から道央・旭川までの道路敷設に駆り出されたのは、当時釧路にあった監獄から1200名の主に政治犯たちで、
それを収容するため網走に作られたのが網走監獄でした。
「人夫賃は払わずに済むし、死ねば囚人の飯代も浮く」と考えた当時のお偉いさんの下、強制労働に就かされたとの
ことです。
 
 獄舎などは、昭和59年まで実際に使われていたもの。現在の網走刑務所は鉄筋コンクリート造り3階建てで、刑期の
比較的軽い人たちが収容されているとのことです。
  
↑脱獄王・五寸釘寅吉。様々な刑務所で脱獄を繰り返し
た男。塀を越えたら五寸釘を打った板があり足を貫いた。
そのまま、何キロも走って逃げたと言う。
脱獄囚が堂々と門前に飾ってあるのは、博物館ならでは。
↑通称赤レンガと呼ばれる網走刑務所正門を原寸大で
再現したもの。
  
  
移転・復元された庁舎。明治45年に建てられたもの。
 
明治45年に建てられた「五翼放射状平屋舎房」。
昭和59年まで使われていたものを移築・復元
舎房を裏手から見たところ。ジャンケンの「ぱー」のように
五つの棟からなっています。
入口から入ると直ぐ八角形の見張り所が有ります。
五棟の様子を一目で監視できるようになっています。
脱獄の模様を再現しています 牢屋の様子
独房内部。雑居房より独りで使う分占有面積が有りそうですが、起きている間は正座のまま動いてはダメだった
様です。
レンガ造りの独居房。7日間を限度に真っ暗な中で
過ごすことになります。
裏門(この、左手の部分が移築・復元)。受刑者が構外
作業に出かけるとき使用したもの。