■松尾芭蕉 奥の細道その後    落柿舎 京都嵐山 
  『奥の細道』が完成した1694年、松尾芭蕉51歳の時旧暦5月11日江戸深川から郷里伊賀に戻り、ここ落柿舎にも
閏5月22日から6月15日まで滞在しています。 そして、この年の10月12日、大阪で亡くなりました。

 この建物は松尾芭蕉の門人で蕉門十哲の一人、向井去来が建てた物(現在の建物は京都の俳人、井上重厚が再
建したもの)で1691年に芭蕉48歳の時、この草庵に滞在し、『嵯峨日記(※)』を記したといわれています。

 ※4/18-5/4まで滞在し芭蕉の日常生活や、去来・野沢凡兆・川井乙州・河合曾良など蕉門諸家との交渉・追憶を記した日記。
 落柿舎・本庵  次庵・茶室
 五月雨や色紙へぎたる壁の跡
 (梅雨時のじめじめとした空気の漂う部屋の壁に貼った色紙の剥がされた跡がふと目について、何故かそれがもの悲しさをそそる)
嵯峨日記を書き終えて落柿舎を明日は出て行くという日に詠んだもの。