■ 山中温泉その1 | |
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1689年新暦9月10日(-18日)、芭蕉と曾良は山中温泉を訪れここでお腹を壊した曾良は別れる。 山中温泉に入浴する。その効能は有馬温泉に次ぐという。 山中や菊はたをらぬ湯の匂 …(山中温泉は良いなぁ。長寿の効用を言われる菊を手折って匂いを嗅いだりしなくても湯の香りだけで十分に命が延びる感じがするよ) 宿の主は久米之助と言ってまだ少年である。この主の父が俳諧を好んでいて、京都の安原貞室がまだ若い頃に この地でその父との出会ったことから、山中村の衆からは俳諧の添削料を取らないとの事であったが今では昔話 となった。 |
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曾良はお腹を壊したので、知り合いの居る伊勢の国長島 へ先に出発すると言う。曾良は 行く行きてたふれ伏すとも萩の原 曾良 …(旅を続けた挙句に倒れ死んだとしても萩の原で死ぬの ならば本望だ) と、書き残していった。先に行くものの悲しみ、後に残され たもののつらさ、それははぐれた鴨が雲間でさ迷うような ものだ。 私も、こう詠んだ。 今日よりや書付消さん笠の露 …(曾良と別れて今日からは一人旅になってしまった。同行二人と 書いた笠の書付も消してしまおう。笠に付いた露を使って) |
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菊の湯・男館、女館はこの左手奥に有ります。この日、漆器展のイベントが開催されていました。広場にはテントが立ち並び句碑も有るはず ですが探せませんでした。 |
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ここには、足湯もありこの屋根が芭蕉の笠をモチーフにしているようです。屋根の中にはこんな解説板もありました。 | |
道路を挟んで向かい側に芭蕉館があり関連資料が展示されているとの事ですが中はパスしました。 入口前には、芭蕉と別れの挨拶をする曾良の像と、石碑が有ります。 |
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説明板と碑。 | |
また、その近くに木戸門跡があり、『今日よりや書付消さん笠の露』、『漁火に河鹿や波のしたむせび』、『やまなかや菊はたおらじ湯の匂』の 3つの句碑が有ります。 |
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